大嘗祭とは?
令和元年11月14日と15日に大嘗祭が行われた。
日没にはじまって明朝まで行われる。
画像出典 産経新聞オンライン
天皇陛下が天照大神に五穀豊穣を祈る式である。古来は新嘗祭と同一視されてきたが律令制以降は分離された。
天照大神に新米はじめ作物をお供えする儀式である。供え物を移し替える作業を504回も繰り返すのである。
主基殿・悠紀殿と天皇が廻られる。同礼式を2回行うのである。それぞれ外削ぎ・内削ぎである。つまり男神・女神と両方祭られているのである。
その後廻立殿にて沐浴を天皇自ら行われる。今回は天皇の体調を考慮して体温に近い水が使われた。古来からは清めの水は冷水であるが、裕仁天皇の代から温水に切り替わった。
またかがり火ではなくLEDに切り替えられた。茅葺の屋根ではなく板張りと簡素なものであった。どこか伝統を見失ってる気がする
斎田は主基殿・悠紀殿に供える稲の田んぼをである。亀占いを用いて決める。アオウミガメを燃やして現れた旧国名から選出される。
京都府は律令制時代は選ばれることはなかった。明治になって全国から選ばれた。
政教分離との問題点
さてここから本題の政教分離に移るとする。
戦後、日本国憲法では政教分離の原則がなされてきた。大嘗祭や神嘗祭などもその一つとして訴訟が行われてきたが全部棄却されてる。
理由としてはあくまで相当とみられる範囲なら問題ないとのこと。現職の総理大臣らが靖国神社参拝にしてもあくまで礼儀的行為であって一から式典に従って宗教的手続きを行ったわけではない。
神社参拝は初詣を例に国民の慣習として広く定着してる。あの日本共産党員ですら神宮参拝してる。
では、切支丹の議員がメリークリスマスと言ったら政教分離にあたるかと言われたら言うまでもなくNOだ。教会に行って礼拝したらダメとかお門違いにも程がある。
さて、天皇は政治的責任を取らないから政教分離には当たらない見方がある。
平成7年の最高裁の判決では大嘗祭はすでに執り行われて5年たち国民の生活に不利益などほとんど生じてないことから棄却された。
したがって、政教分離とか税金の無駄遣いとか言う前に伝統儀式を重んじることの方が課題である。皇室関連予算は国会で審議されて決まる。
皇族とて世襲制かつ終身制の公務員という解釈があるから限られた額で運営されている。
保険もなく、貯金すら厳しい皇族をさらに切り詰めた生活にさせるのは不敬でしかない。
国会議員は真剣に議論しなければならないであろう。