国民主権?天皇主権?

今日は国民主権について書いていく。

 

終戦の日ということでこの記事を書く。

国民主権日本国憲法の3原則の一つである。

 

たいていの人は、戦前は天皇主権で戦後は国民主権とならうはずだ。

これを今日は否定したい。

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すっかりテストにまでなってしまった。

国民主権とは主権が国民にあると。

それが

  1. 天皇ではなくて日本国民にあるのか
  2. 外国人ではなく日本国民つまり天皇はじめ皇族にもあると

 

この2択である。政府解釈では2である。

まず1だと天皇があたかも外国人であるかのような解釈になる。

これはおかしい。天皇はじめ皇族は皇統譜に記される。

 

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写真は悠仁親王殿下の皇統譜である。両親の名前と生年月日(呪詛をかけられないように別の日にしているらしいが、、)がわかる。これが戸籍の代わりである。

国籍法で、「無国籍の両親から生まれた子供は日本国内で生まれた場合、日本国籍となる。」とある。日本が例外的に出生地主義を取っているケースである。

天皇や皇后はじめ皇族が無国籍なら生まれた子供は日本国籍になる。

よって1は矛盾している。

 

パスポートについて、菊の紋章が見られる。これは天皇の象徴であり、民間人が簡単に使ってはいけないというより畏れながら使えない。

 

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パスポートは外務省の管轄だが、発行する権威は天皇にある。

国家元首がパスポートの発行を許しているのである。だから天皇はパスポートはいらないのである。

 

明仁上皇は平成30年12月に免許を返上された。免許証は天皇でも持つことができる。

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皇族は皇籍離脱を除いて終身制の国家公務員である。

明仁太上天皇や美智子皇太后は譲位されても皇族で皇籍離脱されたわけではない。

15条の1項の「日本国民は公務員を選出し罷免する権利がある」は皇族はその例外である。

憲法99条には「天皇はじめ摂政や内閣総理大臣はじめ公務員すべてが憲法を遵守しなければならない」とある。

憲法2条では「皇位は,世襲のものであって,国会の議決した皇室典範の定めるところにより,これを継承する。」

このことから皇族は制限のかかった例外のある公務員であり国民の一人とされる。

 

明仁上皇は4.8億円の相続税を納税された。そして義務教育を子息に受けさせた。

 

よって2の解釈が合理的になる。

よって天皇主権とか一般的な国民主権で当てはめるのは間違いになる。


大日本帝国憲法には天皇主権の条文はどこにも書いてない。

 

従って、外国人参政権違憲である。

たとえ最小レベルの自治体の投票権違憲なのである。

憲法に反する特例法も認められない。


1の解釈は八月革命説の宮沢俊義らの学説なのである。

天皇主権から国民主権に移ったというこじつけなのである。


第二次世界大戦も作られた。

前回までは第一次世界大戦

作られた戦争だったことを書いた。

 最貧国ドイツの悲劇

第一次世界大戦後、ドイツは賠償金を支払わさせられた。

そして海外領土を失った。その一部は日本に渡った。

 

ドイツは莫大な賠償金を返済するために紙幣を発行することを許可した。

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その結果、紙幣は紙切れになった。これをやったのがドイツ銀行などである。

写真は紙幣で積み木をする子供たちだが当時はハイパーインフレになった。

 

さて、その間にフランスとベルギーがルール炭田を占領する。

西欧の工業地域だったところを欲しがっていた。フランス銀行は賠償金が滞るとお金が入ってこない。フランの通貨機軸を強化するために行った。

 

ドイツはそこでサボタージュをして操業を停止した。その結果、賃金は払えなくなり失業者が増えた。

 

そんな中、ナチスヒトラーが台頭する。政権の不満を利用して労働者から熱烈な支持を集めた。古代ローマみたいにパンと自由を与えた。

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その資金は誰が拠出したのか?ヒトラーを支援してきた金融勢力である。

ヒトラーは湯田人を虐めたという人がいるが全部の湯田をいじめたのではない。

ソ連のスパイを取り締まるのが目的だった。

 

米国のフーバー大統領はドイツを工業国としてやり直すチャンスを与え、賠償金を減らそうとした。

 

しかし、ヒトラー率いるナチスはこれを否定した。理由はナチを支援してきた金融勢力おもにロックフェラーなどがお金を失いたくないからである。

 

戦時中、ドイツはヨーロッパの国々の財宝を収集する。そして、戦況が悪化すると財宝をあらゆるところに隠した。銀行にとって担保だった。

黄金列車はスイスにお金を隠すために公営化された鉄道を用いて走らせた。

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世界恐慌起こる

1929年10月24日に世界恐慌が起こる。ウォール街の株が暴落したからだ。

 

理由は連邦準備銀行がお金を動かさなくなったからである。

一気にお金が出回らなくなり、結果銀行は倒産が相次いだ。

 

日本のバブル崩壊と同じ。それまでみんなお金を持っていたが突然お金が回らなくなるとお金の価値は増える。すると物価は下がる。

 

そのころ米国の共和党のフーバー大統領は公共事業はほとんどせず一時的な現象とみなした。そもそも政府が公共事業に参加するほど、労働者の賃金は一定化され生産性は下がるからだ。

 

 公共事業は社会主義国のやることで、労働者はみんな同じ賃金だと意欲はなくなる。

 

失業者は増える中、民主党から一人の大統領候補が注目を集めた。米国の安倍晋三といわれたフランクリン・デラノ・ルーズベルトである。(FDRは略称)

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連邦準備銀行からも推薦があったくらいだった。ニューヨーク州首領をしていてていち早く財政立て直しで成功した。

 

政策はヒトラーのように公共事業を行って、失業者に職業を与えたものだった。

テネシー川のダム工事やワーグナー法や農業調整法など政府が積極的に仕事を与える共産主義経済だった。

 

結果、一時的に回復した。ルーズベルト2期目までは景気回復している。 

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しかし、そのころヨーロッパやアジアでは戦争ムードだった。

英国にお金を貸したニューヨーク金融は英国に勝ってもらわないと

手形が紙切れになる。

 

アジアでは中国国民党軍と関東軍が戦闘状態だった。

また、ノモンハン事件が起こった。

これらは米国金融勢力が陰で支援していた。

 

南満州鉄道爆破事件と日支戦争

テロを起こした犯人は不明だが、金融勢力の差し金だったという見解がある。

満州国は治安が良く識字率も高く、人口は増えた。

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1937年以降盧溝橋事件により戦争に突入する。ここでも金融勢力の刺客にやられる。

戦争がはじまると民主党は中立公約に背き勝手に支援を始めた。これにより国債がバカみたいにすられる。

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第二次世界大戦はじまる

その2年後に第二次世界大戦が起こりドイツとソ連ポーランド分割を行う。

 

このときに米国はまたチャンスと考え、英仏やポーランドを支援した。

 

そしてドイツを挑発した。しかし、ドイツは挑発に乗らなかった。

 

1936年にドイツと日本は同盟を結んだ。ドイツと日本は第一次世界大戦で敵国同士で満州事変の時でも支那、国民党を支援していた。

 

日本はソ連の脅威に立ちはだかっていた。満州国を緩衝地帯としていたが、万が一に備えてドイツと同盟を組んだ。

 

後にFルーズベルトは日独伊三国同盟の日本を挑発することにする。

全部、連邦準備銀行が債権回収するためだ

新聞は国民を煽ってた

1940年にドイツは英国を爆撃する。実はこれも仕組まれていた。

ヒトラーが英国と同盟を組みたがっているのを知っていたのが英国の金融や新聞などのメディアだった。

 

チェンバレンの不評を書いて記事にして総辞職に追い込む。

チャーチル総理が誕生すると、一気にドイツと戦う姿勢に国民は変わる。

結果、英国は損害を出した。米国に助けを求める。(このときは米国民は戦争反対だった。第一次世界大戦で若者がヨーロッパで命を落としたから。)

 

結果、英国は米国の支援を受けて何とかドイツの上陸を阻止した。

 

すると、ヒトラー独ソ不可侵条約を破ってドイツに侵攻させるように仕向けた。

これも、米国民主党の思惑だった。ソ連を承認したのはルーズベルトで戦後ヨーロッパを2分割する計画があったからだ。

 

しかし、ルーズベルトは3期目の選挙で中立公約を掲げて当選した。ヨーロッパを支援しないと明言した。

 

そこで国民に納得してもらう口実が必要だと。それがハルノートだ。

 

このことは戦後、米国民が知るようになる。ハルノートは財務次官のハリーホワイトが書いたものだ。そもそも政府の正式な提案ではなく覚書だった。

 

ハルノートの内容は

  1. 英米やフランスにオランダや支那などと相互不可侵条約を結ぶ
  2. 内政干渉の禁止
  3. 日米の資産凍結の解除
  4. 支那仏印からの撤退
  5. 日独伊三国同盟の破棄

というもので満州から兵を引けとそして石油制裁の解除はノーコメント。

 

朝日新聞などはより開戦ムードを煽るようになった。

国民からしたら、日本に不公平な内容だという意見が多かった。

 

結果、ハルノートを突きつけられて1941年12月7日に日本軍は真珠湾攻撃をする。

そもそも、米国は国際連盟に不可盟だから平和原則などに拘束されない。

 

ルーズベルト真珠湾攻撃の14時間前に通告を受け取っていたにも関わらず

ノーリアクション。第一次世界大戦の戦艦のみ残して空母だけどこかへ動かした。

日本が一方的な悪になってしまった。

歴史にIfはないが、日本軍は空母がないことに気づいたら攻撃中止も考えられた。

石油基地を日本軍が叩けなかったことがのちに戦況不利になる原因だった。

 

 

第一次世界大戦はつくられた

今日は金融の歴史5講で書き切れなかったことを書く。

 

以前、小村寿太郎関税自主権の回復をしたところまで書いてきた。

 日露戦争の後

日露戦争で日本が勝ち、講和条約を結んだ。

その後、ロシアは英国やフランスと急接近してくる。その結果三国協商が成立する。

理由は、お金儲けするためだった。

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日露戦争までは日英米と露仏独の戦いであった。

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三国干渉を日本に行ってきたのがロシアとドイツとフランスである。

 ドイツはもともと再保障条約、ドイツとロシアの条約を破棄はしたが日本に不満があってロシアやフランスについた。

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ドイツ皇帝ウィルヘルム2世は日本脅威論、黄禍論を唱えたことで知られている。

当時、金融勢力は日米英を支援していた。そしてロシアに敗戦革命を起こそうとした。

これがロシア革命からソ連の建国につながる

アメリカ恐慌Ver2

日露戦争ののち米国は不況に立たされる。

西暦1906年(明治39年)アームストロング法が可決された。

この法律は共和党のウィリアムアームストロング上院議員の名前を取っている。

彼は証券の取引の不正を取り締まった。

 

それまで、米国は証券はモルガンやシュパイヤーやクーン・ローブが独占的であった。

しかし、1893年の恐慌から資金をすってしまった。そこで一つにまとめて経営した。

 

ニューヨーク生命やエスタイブル生命など生命保険会社がモルガンなどの株を

持つようになり、生命保険が銀行を支配するようになる。

 

アームストロング法のせいで資金がまたモルガンなどに戻ってきた。

そしてその資金がドイツ帝国流入してしまった。

理由は税金をすり抜けるためである。

そして、アメリカからお金が無くなり結果銀行は次々と潰れた。

 

Tルーズベルト大統領は金融の証券の独占化に否定的だが黙認してきた。理由は逆らうとリンカーンケネディと同じ目にあうことはわかってた。

Tルーズベルトは誰でも競争に参入できる資本主義を謳った。独占すると価格はいくらでも上がる。

 

ドイツ帝国に資金が流出してることを黙ってなかった。

 

そして、モルガンら自らお金を戻してきて一時的に回復している。

 

これがのちの連邦準備銀行につながる。

これについては後に書く

第一次世界大戦勃発

第一次世界大戦は、サラエボ事件がことの始まりである。

 

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オーストリア帝国の皇太子がセルビアの青年に暗殺されたのが始まり。

実は仕組まれていた。金で雇うくらい銀行は容易なことだった。

事件後、よりセルビアオーストリアハンガリーの関係が悪化する。

七月危機が起こる。あちこちでクーデターが起きるがそこで出てくるのが米国金融だ。

ドイツからオーストリアに資金を動かしてきた。そのお金を使って対立を煽った。

 

サラエボ事件の一ヶ月後にドイツやオーストリアハンガリーセルビアに宣戦布告した。ロシアはセルビアを支援していた。 

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中立を保ってたベルギーはドイツ軍に侵攻されてしまう。

そしてロシアの同盟国だった英国やフランスがドイツに宣戦布告した。

ウィルヘルム2世と英国ジョージ5世はいとこの関係だった。

 

アメリカの参戦

当時、アメリカはモンロー主義でヨーロッパに不干渉だった。しかし、ヨーロッパに借金をしていた。

英国やフランスが負けると手形は紙切れになる。そこで、参戦の口実を見つける。

そこで連邦準備銀行はウッドロウウィルソンを大統領候補に推薦して選挙で勝つ。

 

わざと米国人の乗ってる船を爆破して、あるいはドイツを挑発することで参戦に関心を向けさせる計画があった。実際に米国人がドイツの潜水艦に沈められている。

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これはFルーズベルトが第二次大戦で同じことをやる。(流石にドイツも二度目は乗らなかったが。)

日本は地政学の観点から山東省に進軍している。

そして開放し、最終的に中華民国に戻された。ある意味日本は恩人なのである。

ロシアはちなみに革命によりソ連になる。ソ連を作ったのはドイツの金融勢力である。

ブレストリストフスト条約によりソ連は撤退した。理由は英仏VS独墺を徹底的にしたかったからである。

ドイツは東部から兵を引き揚げさせる。

 

結果、世論は米国の参戦に関心の矛先を向けて1917年にドイツに宣戦布告する。そして翌年の11月にドイツは降伏する。

 

いうまでもなく米国の参戦が勝敗を左右した。

 

そして第一次大戦後、世界の金の殆どが米国に渡った。世界の金融はロンドンからニューヨークに移る。

 

全てはモルガンなどが仕掛けた計画だった。これによりウォール街が100年以上支配し続ける。

 

慰安婦像?平和の像?

今日は「表現の不自由展」について書いていく。

 

まず、平和の少女像から。

慰安婦だのサラリーの高い売春婦だという人がいる。

しかし、その少女は実は在韓米軍が少女2名を跳ねた事件をもとに

つくられている。

 

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慰安婦について

 

 

日本はかつて徴用工だとか慰安婦は連行されたという人がいるが

そもそも日本に性欲奴隷制度はなかった。以前にも書いたが

victor4.hatenablog.com

西洋のやってきたことである。

朝鮮半島には日本ほど仕事はなかった。失業者が増えてきた。

公務員、警察や軍人を志願する若者が増えた。

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今でいうソウルの警察署の名簿だが、朝鮮名で登録されている。

国家公務員、特に軍人の倍率は高かった。

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李 秉武は朝鮮系日本軍人の一人だった。日本人らしい朝鮮人だった。天皇陛下の為に最期まで戦う信念を貫いた。


朝鮮は失業者が多いから売春業をした人が多かった。それを日本軍は取り締まった。

 

慰安婦像は西暦2002年の交通事故をもとにした創作だった。もはや時代が合わない。

 

次に裕仁天皇の件に移る。

良識ある日本人いや自分の両親の遺影を燃やされたら屈辱的になるだろう。


もっというならカトリック教徒がキリストやローマ法王の写真を踏みつけられるのと同じ。

イスラム教徒がアッラーを描かれるのと同じ。

イランのハメネイサウジのムハンマド王太子と一族を侮蔑するのと同じ。

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天皇ヒトラースターリンルーズベルトではない。

神道の最高権威である。3000年近く司祭を行われてきた。そしてその行為は替えがたいものであった。

神道は死後は神になる。明治神宮は明治(睦仁)天皇昭憲皇太后を祭っている。

裕仁天皇は最初から人間宣言を出した。

現人神は神の一員であることの例えだ。

しかし、これだけ多忙なご公務を二十歳の摂政時代からそつなくこなしてこられてから神と例えられても仕方ない。いやほぼ神だ。

 

そもそも天皇は裁判にかけられなかった。いや日本に戦犯はいない。

 

はっきり言って国民の全体の2割つまり2000万人は敵に回すような展示会など表現の自由にも反するし、天皇条項にも反する。

憲法護れというやつに限り天皇を無くしたいのである。

不敬でしかない。

 

黒船来航の時から戦争が始まっていた。

前回までは、江戸幕府鎖国政策について書いてきた。

キリシタンの侵略を食い止めたがその後日本はオランダや支那と貿易をする。

 オランダは英国に敗れてしまう。結果、インドネシアくらいしか支配できなかった。

インドネシアは350年にわたって支配が続く。

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鎖国から約200年後の黒船来航について書く。

江戸幕府はオランダ大使から米国のペルリ(ペリー)が日本に来航して

貿易をするように迫ってくると警告を受けた。

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その10年ほど前アヘン戦争支那が英国に負けた。香港などを没収された。

英国だけでなく米国やフランスらは同じ条約を支那に結ばせて、支那は半ば植民地状態だった。このままいくと地政学的に日本は不利だった。支那の次は日本を狙って太平洋を支配しようと各国の金融や武器商人は考えていた。

 

日本は当時大型の船は禁止されていた。大名が幕府に謀反を起こさないようにするためだった。

 

そして、ペリーに恫喝されて不平等条約を結ばさせられる。

  1. 開港させて外国船を自由に出入りさせること
  2. 外国船に薪や鯨油をタダで与えること

など植民地に近い状態だった。

日本は捕鯨が盛んだったが、食べられるところはみんな食べた。しかし、欧米は油だけ取って捨てていた。

そしてハリスは日米修好通商条約を日本の井伊直弼今でいう総理補佐に結ばせた。

  1. 治外法権(領事裁判権)を認める
  2. 日本側の関税自主権の否定

とまた植民地支配に近い状態だった。理由は日本は当時3000万人いて武士、軍人は210万人と武器を持つ人が多数いた。なんせライフルやアームストロング砲を複製してしまうくらいだった。直接日本を支配すると暴動が起きるし手間がかかる。では経済から搾取しようと欧米の金融は画策した。

この結果、日本では品不足がおこりさらに外国の安い製品に押されていった。

尊王攘夷運動とは白人とくにゲルマン人植民地支配との戦いであった。

植民地支配は金融勢力のやろうとしていたことだった。

治外法権のせいで外国人が犯罪起こしても領事館に身柄を引き渡されてしまう。

明治になってからノルマントン号事件が起こったが、ゲルマン人は船長に助けられたが日本人は見殺しにされた。船長は死刑ではなく禁錮3か月と刑罰だった。

 

大隈重信は英国と交渉するがテロに遭い負傷する。理由は英国の金融勢力からしたら生かしておけなくなってきたからだ。

日清戦争を機に陸奥宗光は英国との治外法権廃止の交渉に成功した。

 

日露戦争では英米の力をかりてロシアを破った。マッキンレー大統領とセオドアルーズベルト副大統領は日米英同盟を提唱した。しかし、マッキンレーは暗殺される。理由はロシアを支援していた金融勢力の反感を買ったからだ。

 

セオドアルーズベルト(フランクリンルーズヴェルトの伯父)は日露の仲立ちをして日露間の講和条約を結んだ

日露戦争から6年後の紀元2571年つまり明治の終わりに小村寿太郎関税自主権の回復に成功する。

しかし、その年に亡くなってしまう。金融勢力にとって最後の頼みの綱であった関税自主権を日本に与えてしまった。小村が気に食わないから毒殺したという見解がある。

 

そのころハワイは日本と同じ島国だが、米国に支配されてしまう。カメハメハ王朝が存在したが、米軍によって虐殺されてしまう。

日本は鉄砲を沢山持っていたから武力侵略をこのときは回避できたのである。

 

日本がもし鎖国をしなかったら、徳川幕府は再びアジアに遠征軍を送っていただろう。

歴史は変わっていたのは間違いない。

関ヶ原の戦いや大坂の陣は仕組まれていた

前回、

イエズス会は金融の差し金だった。 - ヴィクトール総裁の日々

で書いたように

 

戦国時代はイエズス会によって利用されたことを書いてきた。欧州の金融は日本の銀を搾取するために戦国時代を利用した。

それに対して秀吉はスペインと戦うことを口実に世界征服を考えたが半ばで倒れた。

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家康ははじめはキリスト、西洋に寛容な姿勢をとった。

 

当時、英国はスペインの無敵艦隊を破るという勢いであった。

皇紀2260年(慶長5年)に英国は東印度会社を設立した。アジアを植民地支配することを目的に貿易をした。

家康は英国の商人アダムス(三浦按針)から武器を買い付けた。そして石田三成らを挑発して戦争を引き起こした。

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関ヶ原の戦いである。これも印度会社の仕組んだものだった。このとき家康は最新の銃を調達し、鉄砲隊を編成した。英国やオランダは布教活動はしなかった。

石田三成率いる西軍はキリシタン大名も多数いた。小西行長らである。三成は卑怯なことに人質作戦を取る。これもスペイン側が仕組んだものだった。人質を取れば戦う気が大名からなくなる。それを掴んだ家康は細川忠興正室ガラシャを暗殺させた。西軍がやったのではなく実は家康のスパイがやったのである。結果、三成は卑怯者になる

家康は大義を勝ち取った。

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家康は三成の矛先をそらすため会津へ一度侵攻する。しかしこれは自作自演だった。わざと攻めるふりをして、直前で引き返す。そして家康は岐阜までたどり着いた。長期戦になるのを避けるために、三成らを大垣城から出るように促した。

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そして翌朝には関ケ原の合戦が始まる。家康は最新の兵器を駆使して8時間で決着をつける。西軍に大損害を与えた。

 家康は大勝利したかに見えたが、家康は関白にはなれなかった。征夷大将軍に就任し江戸幕府を開いたが、朝廷からは遠ざけられた。

また豊臣家恩顧の大名も東軍に多数ついた。これは英国側の仕組んだわなだった。

豊臣恩顧の大名たちは家康によって改易されたり暗殺されたりしている。

大坂の陣勃発

そして関ケ原の合戦から14年後に大坂の陣が勃発する。家康は豊臣家を倒す口実を作り、戦争を始める。

豊臣家には宣教師がいた。秀頼はスペインから火薬武器といった文明を取り入れるために承認したのである。

このときに出てくるのが大峡銃である。火縄銃の大型版で真田幸村が用いた。

敵の兵士が土を盛って作った土台を壊すためである。徳川軍は大苦戦を強いる。

そして300台の英国製の大砲で大阪城を破壊して講和する。そして大阪城の堀を埋める。それから普通に攻めればよい。結果、翌年の大坂夏の陣で豊臣家は滅んだ。

その翌年家康はなくなるが、毒殺されたとされる。

理由は英国にとって家康は脅威になってきたからだ。信長同様英国に歯向かってくると考えたからだ。

 

しかしそれでもキリシタン側、特にスペインは諦めていなかった。伊達政宗はスペインと貿易しようとして徳川から反感を買った。

イエズス会側は島原の乱を起こして、もう一度戦争を起こさせようとした。

 

幕府は4か月もかけて莫大な戦費をかけてこの反乱を鎮圧させた。

こののち幕府はスペインとポルトガルの船の来航を禁止した。

貿易相手国を限定して幕府に逆らわないようにスパイを取り締まるためにあえて書くが鎖国をした。

 

平和国家になったが平和ボケしてしまう。

続く

 

 

 

イエズス会は金融の差し金だった。

今日はいきなりだがイエズス会の話を書く

 
十字軍の遠征に5回も失敗して、ローマ教会は大損害を被った。
 
その一方で王族や金融はぼろ儲けした。
なぜなら遠征するための軍資金を貸与したり、教会を改修するのに工事費でお金儲けできたからだ。
 
今日はその金融の歴史で書けなかった、日本の戦国時代について書いていく。
 
15世紀になりスペインやポルトガルは世界のあらゆる国々を植民地にした。
もとは香辛料を手にするためだったが、コロンブスアメリカ大陸のインド諸島を発見したことからアメリカ大陸に進出する。さらに中東やアフリカまで広がった。
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そしてエンコエミンダ制度で奴隷として酷使してきた。商人はお金儲けそして銀を独占するためにしてきたのである。
 そして支那や日本などアジアまで征服してきた。
 
皇紀2209年にフランシスコザビエルは来日したが彼はイエズス会のスパイであった。
 キリスト教を布教して味方のふりをしてきたのである。

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しかし、日本は思うように布教が進まない。
理由は日本は神仏儒の国だからだ。日本の社会に馴染まないから一神教キリスト教は排外された。武田信玄上杉謙信仏教徒だった。そして、イエズス会に毒殺されたと考えられている。
 
そこで鉄砲を使って金を儲けようとした。もとは支那の四大発明だが、西洋はこれを改良して遠くまで飛ばせるようにした。
武器を高く売りつけて金や銀を搾取したのである。しかし、鉄砲伝来の皇紀2203年から
30年あまりの皇紀2235年長篠・設楽原の戦いで鉄砲が実戦兵器として使われるとスペインは日本を脅威に感じた。簡単に複製されたのである。

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鉄砲が広まるとそれまでの一騎打ちから、集団戦に切り替わった。
そしてその戦いから8年後、織田信長は本能寺で撃たれる。
当時、日本は鉄砲大国だった。信長は全国統一半ばであった。大砲を積んだ船を造船させた。
 
明智光秀イエズス会とも繋がりがあった。何といっても娘の玉、ガラシャキリシタンだった。
 
本能寺には火薬が莫大に隠されていた。警備もかなり手薄だった。しかも40人くらいしか収容できない。明智軍が1万3000人とされているから容易に短時間で倒せる。しかし、信長の首が見つからないことから何時間もかかっていた。信長の首は実はイエズス会に先にわたっていたともされる。
 
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本能寺に火をつけたのは実はイエズス会のスパイだったとされる。信長の首をとったことを確証したかったからだろう。
本能寺の変当日、明智軍は南蛮寺つまりイエズス会のアジトを攻撃しなかった。それだけキリシタンを信用していたからである。
 
イエズス会明智光秀を利用した。しかし、イエズス会は誤算を起こしてしまう。
 
羽柴秀吉本能寺の変が筒抜けになってしまったことだ。本能寺を抜け出したものや横で見ていたものが、秀吉にまで情報が伝わっていた。
 
秀吉は武器甲冑を船で輸送してから後に現地で装備してから、光秀と戦った。
中国地方から山崎までわずか一週間弱で折り返すなど甲冑つけたままでは不可能だ。
また、秀吉は信長は生きているなどとデマを流したがこれもイエズス会の仕組んだ諜報だった。こうすることで味方を増やした。山崎の戦いは仕組まれていた。情報戦が勝利を決した。
 
結果、秀吉は政権を取るとイエズス会と敵対する。
バテレン追放令により宣教師は迫害された。当時、日本の十代女子が次々と売春婦として売り飛ばされたからだ。
つまり、日本まで植民地になる寸前だった。秀吉が朝鮮出兵を画策した理由は、明にいるキリシタンを追放するためだった。
スペイン領だったフィリピンも征服する予定だった。当時スペインは植民地を世界に持つ大国だった。
 
そして、秀吉はイエズス会によって毒殺されてしまう。
 
秀吉の死から2年後に関ヶ原の戦いが始まるがこれもまた英国とスペインの金融が仕組んだ戦いだった。
 
つづく