朝鮮戦争とは何だったか。2682/6/26

朝鮮戦争の開戦から72年である。

いうまでもなく昭和25年2610年6月25日に金日成が侵攻してきた。金一世はソ連スターリンからは承認を得ていた。

電撃作戦だったので李承晩側は困惑した。

韓国、南朝鮮には米軍が駐留していて安全保障に基づいて武力措置をとった。

この時マッカーサーは仁川上陸作戦で海から反撃を行った。北朝鮮は急な反撃と装備を怠っていたので撤退した。

しかし、支那共産党義勇軍を送り膠着状態になった。2613年に板門店で休戦協定を結ぶ。いまだに終戦に至っていないのである。

この時、マッカーサーは原爆を使用しようとトルーマンに進言するが棄却される。

トルーマン大統領はマッカーサーを不利にしてやろうとマッカーサーの要求を無視した。

2611年4月、マッカーサーは司令官を解任された。しかも李承晩は戦闘を放棄し米国へ逃げた。

ここまでが概要といえる

 

日本にとっては

日本はその2年前2608年にはフォレスタル国防長官は警察レベルの装備でいいから再軍備を要求してきた。そして2610年7月に警察予備隊海上警備隊が発足した。ただし、暫定的であり装備は警察レベルのものであった。

これが後に自衛隊の動きを不自由にさせる。装備が銃等と少ないからだ。

ポツダム宣言9条には日本の武装解除を徹底していた。このままでは矛盾が生じる。

サンフランシスコ条約を締結するのはその翌年であり、ここでもまたポツダム宣言9条について継続するように書いてある。このままではまずいから安保条約で部分的に空文化させたのである。米国との間に限っては例外的に軍隊を保持できるようになっている。実際に自衛隊日本軍は米軍と合同演習してるがそれはポツダム宣言サンフランシスコ条約の例外と位置付けられている。

経済面でいうと、戦車や戦闘機を造る企業などが儲かった。日本で造らせたほうが早いとマッカーサーらは考えたからだ。ここから日本が好況になり失業者が減っていく。それ以降、石油ショックまで日本の経済は発展するのだった。

経済面ではよかれと思うが、自衛隊の扱いは朝鮮戦争から変わっていないのである。

政府も超警察権といい、軍事には当たらないとごまかしてきた。

 

米国など西側とっては

米国など西側としては数万人の若者が犠牲になった。トルーマンマッカーサーらの助言を無視して無かったらどうか。朝鮮半島が西側になり、北朝鮮の鉱山に目をマッカーサーらが付けてそこを重要国として目をつけてたであろう。下手したら日本より豊かになってたかもしれない。無駄な戦争だったのは間違いない。戦争で得をしたのは戦闘機などを造っている企業くらいだ。そうか、保険屋だ。

 

歴史にたらればはないが、朝鮮戦争を早く終わらせて半島が統一されることである。そうすれば米国や日本にとっては若者を犠牲にせず無駄な戦争もなくなる。