昭和天皇の戦争責任はない。

最初の記事で、裕仁天皇に戦争責任はないと書いたが その理由について説明する。

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たしかに大日本帝国憲法では統帥権天皇にあった。 しかし、天皇は拒否する権限はあったが賛成する権限はなかった。 また、裕仁天皇は最後まで反対でいらした。 理由は以下に述べる。

1.支那大陸を制圧するのに支那事変から4年かかってるが未だに国民党との決着や講和条約を結ぶことは出来てない。その上これ以上戦線を拡大する余地は無い。

2.ソ連と戦うために日独伊三国同盟があるのにさらに米国を敵に回したら米ソの強大な国に挟み撃ちに合う。(これは現実になる)

3.石油は平時で2年しか持たなかった。戦時になると1年弱しかない。石油は当時殆ど米国頼みだった。

そしてハルノートを突きつけられると新聞やラジオは開戦ムードを煽ってた。国民に戦争の関心を向けようとした。そして東條総理官邸までなんと3000余の書簡が届いた。


 戦後、裕仁天皇はこう仰せであった。 『私は多くの臣民から愛されていなかったら、国民は私の首をはねていたでしょう。少なくとも戦争に反対だったら精神病院に送り込んだりしたでしょう。』

天皇とは国民から見て父親、そして皇后は母親のようなものだった。その証拠に終戦後の御幸に全国から天皇万歳が続いた。つまり裕仁天皇は多くの臣民から敬愛されていたのである。

戦時中に御所が焼けても修理は後にして1人でも臣民を救ってほしいと仰せであった。配給と同じく自身の食事も極めて質素なものであった。

このことを踏まえると臣民がどんな地獄の道に進むにしても覚悟があるなら、天皇も一緒に進むのが天皇のあるべき姿だったことを示してる。普通なら拒否権を行使しても良かったがそれでも裕仁天皇は臣民の総意を選ばれたのだ。

これでも戦争責任があるというなら寧ろ当時の国民に問うべきだが、これだけ米国に一方的に追い詰められたら戦いを始めて講和に持ち込むしか道がなかったくらいだ。

マッカーサーの証言にもあるようにもしあれだけ兵糧攻めにあったら米国とて武力に訴えるであろうと認めている。無謀だった軍部の作戦ミスもあるが、それは置いといて天皇に戦争をして始める終わらせる権限はなかった。

仮に上奏しても、あっそうとしか仰せにならなかったであろう。 もし天皇に戦争責任があるなら、倒幕も、日清・日露戦争第一次世界大戦天皇の意志で始めたのか?そうではない。