戦後75年を迎えて 2

前回の続きから書く

日本が日米戦争に負けて、本土で7年間沖縄で27年間占領が続く。

占領下の日本はGHQが牛耳っていた。武装解除が徹底され、朝鮮進駐軍が置かれた。

米国もかなり日本の統治をビビっていた。天皇制をなくせば8000万人いる日本人が竹槍で襲いかかると考えていたからだ。

なんといっても地上戦は米軍を震え上がらせた。

 

結局、日米戦争は無駄だった

朝鮮戦争が始まる1年前になると、米国は日本の再武装を考えるようになる。そしてその感は当たり朝鮮戦争が始まった。

マッカーサー日本国憲法施行から一年後に憲法国民投票で破棄して再検討しろと命令していた。しかし、日本政府はこれを却下。そして憲法変えないままマッカーサー警察予備隊を編成。後の自衛隊である。

 

終戦の日はいつだったか?

さて、本当の終戦の日はいつなのかについて考察してみた。

よく言われる8月14日か15日はポツダム宣言受諾の日 で英米蘭支に対して降伏したのである。

その後日本軍は武装解除を始めるもののソ連の侵攻が続く。9月2日にミズーリ号で調印する。その後昭和26年9月11日にサンフランシスコ条約を結び、翌年4月28日に占領軍撤退である。

 

しかし、海外にはまだ日本兵は残留していた。

 小野田寛郎は昭和49年まで残留していた。ポツダム宣言受諾を知ることもなくただ助けを待っていた。弾薬が尽きれば抜刀して攻撃して散るしかない。29年も生き延びることが奇跡である。

この時こそ本当の終戦の日ではないかと考えられる。

 

戦争の反省

 

ポツダム宣言受諾の日に天皇陛下は戦争の反省とお言葉を述べるが反省とは何か。

先の戦が国民感情ではじまったことである。感情まかせに戦争賛成と言ってはならないのである。

 

皇道派の暴走やマスコミに洗脳された国民たちがなんでもするから早くしろとか鬼畜米英などと煽っていた。

皇道派は下級軍人で農村出身者も多かった。昭和恐慌で農作物が売れず家族を身売りにする家もあった。

そして軍縮会議で軍艦を減らされたら、兵士の給料は減る。不満が溜まって2.26事件を引き起こした。今で言う幹部ではないノンキャリア自衛官首相官邸を攻撃するようなものだった。さらに当時はシビリアンコントロールではなかった。英米は総理や大統領が軍の最高指揮官だったが日本は天皇が最高指揮官だった。政府が勝手に軍の予算に口出しするなと不満を持って攻撃した。総理大臣に軍を指揮する責任をとる権限はないのに無い物ねだりをしたのが下級軍人である。

日米戦争でも石油のために始めたのに石油基地すら攻撃できてない。軍部も陸海で対立したり情報

 

まとめると自分で考えずに目先の利益や感情論で行動してはならないのである。

しかし、自分の国は自分の血でしか護れないことも忘れてはならない。