中ソ対立は仕組まれた1
しかし、スターリンが死ぬと一気に両者の関係は悪化する。
1953年までの米ソ関係について示している。
理由は米ソ直接対立が起きないから今度は中ソ対立を仕向けてやろうと国際金融勢力が考えたからだ。また核攻撃できないなら代理紛争をすれば良いと考えたからだ。
以下、詳しく書いていく
スターリンは晩年、金融業界に逆らう動きを示している。働かなくていい奴らは消えろとか言うことがあった。1952年からは特に暗殺を恐れた。
モロトフ外務委員長も過去にスターリンを毒殺を示唆する発言を何度かしてる。いや委員長は金融勢力から差し金だろう。フルシチョフはグルだった。
スターリンは五カ年計画をやり戦争させるために格好の餌食だった。五カ年計画は2回とも失敗した。そして、戦争をすることで生産を上げるやり方である。
これはFルーズベルト大統領(1933年当時)も共感した。
朝鮮半島を分断統治させて、かつての南北戦争と同じようにしてやろうと画策した。
民主党は南部つまり農村部を支配していた。
奴隷のような労働力が欲しかったのだろう。
朝鮮戦争はソ連と米国の代理戦争に見えたが、ソ連は北朝鮮の支援を拒否した。
米ソ直接対決がなかなか始まらないでいると、金融はトルーマンかスターリンのどちらかを消そうと画策した。トルーマンは失脚させられ大統領選挙の出馬を断念した。そしてスターリンは毒殺された。
第二次世界大戦で資産を多く失ったロスチャイルドやロックフェラーはスターリンに恨みを持ってもおかしくない。
あるいは、モルガンやサックスのような戦勝国を支援した勢力がスターリンが用済みになったから、跡継ぎに戦争したがる奴をソ連の首相にさせようとした。
朝鮮戦争の時スターリンは参戦に否定的だった理由は半島に無関心だったからだ。というより米国と戦いたくなかった。
そんなことより周辺を共産主義にさせたかった。同朋を増やす外交まさに安倍総理と同じである。地球儀を俯瞰するのがスターリンのやり方だった。
トルーマン大統領は始めは南を助けて、後に北を助けて毛沢東に義勇軍を送ってもらってる。義勇軍とてただでは士気が下がるからお金で人民解放軍を手懐けた。そもそも支那はアヘン戦争以降、欧米に根こそぎ搾取された。トルーマン大統領(当時)は支那が朝鮮戦争に参戦する見返りに満州を支那領と認めた。毛沢東は満州にあった日本軍が残していった資産を回収した。
スターリンは米ソの直接対決に否定的かつ、スポンサーを信用しなくなったから暗殺された見方がある。
スターリンの死後、西暦1953年にフルシチョフが首相につく。
フルシチョフはスターリンを批判して中央集権から集団指導を政策にする。
これも国際金融の仕組んだやり方だった。
フルシチョフを怠け者にして国民が働く意欲をなくす作戦だった。
フルシチョフは一日3時間しか仕事をしなかった。彼の時代からソ連は資本主義経済を認める形をとる。
一見、冷戦が収束したように見えるがキューバ危機という悲劇が起こってしまう。
英米に追いつくために、工業化を進めた。
労働力は腐るほどあった。米国民主もスポンサーだった。工場を作ってもらって支那人を安く雇うことにした。
しかし、当時の支那は資源はかなり不足した。
鉄鉱石が無ければ採掘する技術もない。そこで、鉄鍋などを回収して戦車を作ろうとした。(もう第二次大戦の日本かよと突っ込みたくなるてか笑う資格ない。)
結局、国産戦車は作れなかった。それでも、毛沢東に素晴らしい戦車ができたと自慢した。
支那の保有するソ連からのおさがり戦車や戦闘機はみんな米国の技術である。
農業については集団化させて、奴隷の様に働かせた。農業の知識のないものが小作人として労働した。結果、生産性は下がり農村は衰退した。
そして、雀や燕などを駆除した結果害虫が増え、さらに洪水により国内で多数の餓死者が出た。
ここまではみな米国金融の思惑通りで100年前のフロンティア開拓時と変わってない
1959年にチベット侵攻を毛沢東は行った。チベットの布教の自由を認めろとデモする人を財閥は雇う。武器も取り引きさせることでお金もうけした。
これは当時のCIAがチベット人を洗脳していたからだ。
悪いのは中共だと思い込ませる。そして毛沢東の人民政府とチベットを対立させて国力を弱体化させた。
同じことをウイグルにもやらせて核実験の基地まで作った。そして広島の原爆の数百倍の放射能で汚染されている。
そして中印国境紛争が起こってしまう。(これは法的な意味での戦争には当たらない。)ダライ・ラマ14世は印度に亡命していた。インドのネルーと支那の周恩来は同盟関係にあったためインドは下手に支那に攻撃できない。
中印対立を仕組んだ勢力がいた。対立を煽っておかないと気が済まない奴らである。
諜報機関は敵対勢力をうまく利用する。
ネルー首相は焦った。頼みの綱として米国民主党のケネディに助けを求めてケネディもこれを承認した。米印関係はできたかのように見えたが、その関係は脆弱なものだった。
ケネディ自身、反共産主義かつ反戦だった。中共を支援していた金融勢力と度々敵対する姿勢を保っていた。
さらにソ連とに対しても同じ姿勢をとった。その結果、ソ連や中共を支援した勢力から暗殺された。
ネルー首相にしても毒殺されたという見解がある。
ソ連は米国金融や軍産複合体に逆らう動きを見せていた。キューバ危機以降、ケネディを信頼しソ連は資本主義へと切り替えていた。
支那が武装化したら困るし直接対立も出来ない。なぜなら核攻撃でやりあうつまり、放射能だらけになるからだ。
そして中ソ対立をさらに煽った。
最終的に常任理事国5カ国がみんな核実験をやってしまったことになる。
次回、中ソ対立が本格化する。