第二次世界大戦も作られた。
前回までは第一次世界大戦が
作られた戦争だったことを書いた。
最貧国ドイツの悲劇
そして海外領土を失った。その一部は日本に渡った。
しかしそれでも当初はインフレは2倍ほどだった。
観光業が発展し、繁華街だらけだった。
しかし、公務員は給料が増えなかった。ふつうに食事もできるほどではなかった。
結果、貨幣を多く増やした。これがまずインフレの第一段階。
ドイツの経済発展を快く思ってなかったフランスなどは増額を命じた。
そしてドイツは莫大な賠償金を返済するために紙幣を発行することを許可した。
その結果、紙幣は紙切れになった。これをやったのがドイツ銀行などである。
写真は紙幣で積み木をする子供たちだが終戦から数年でハイパーインフレになった。
1923年1月からのフランスとベルギーがルール炭田を占領したことが背景にある。
西欧の工業地域だったところを欲しがっていた。フランス銀行は賠償金が滞るとお金が入ってこない。フランの通貨機軸を強化するために行った。
ドイツはそこでサボタージュをして操業を停止した。その結果、賃金は払えなくなり失業者が増えた。
そんな中、ナチスのヒトラーが台頭する。政権の不満を利用して労働者から熱烈な支持を集めた。古代ローマみたいにパンと自由を与えた。
その資金は誰が拠出したのか?ヒトラーを支援してきた金融勢力である。
ヒトラーは湯田人を虐めたという人がいるが全部の湯田をいじめたのではない。
ソ連のスパイを取り締まるのが目的だった。
米国のフーバー大統領はドイツを工業国としてやり直すチャンスを与え、賠償金を減らそうとした。前任者のカルビン・クーリッジはドイツ国の賠償金を一部立て替えてライヒスマルクで返済を認めた。ドーズ公債を発行したのがイングランド銀行やJPモルガン
であった。
しかし、ヒトラー率いるナチスはこれを否定した。理由はナチを支援してきた金融勢力おもにロックフェラーなどがお金を失いたくないからである。
戦時中、ドイツはヨーロッパの国々の財宝を収集する。そして、戦況が悪化すると財宝をあらゆるところに隠した。銀行にとって担保だった。
黄金列車はスイスにお金を隠すために公営化された鉄道を用いて走らせた。
世界恐慌起こる
1929年10月24日に世界恐慌が起こる。ウォール街の株が暴落したからだ。
理由は連邦準備銀行がお金を動かさなくなったからである。
一気にお金が出回らなくなり、結果銀行は倒産が相次いだ。
日本のバブル崩壊と同じ。それまでみんなお金を持っていたが突然お金が回らなくなるとお金の価値は増える。すると物価は下がる。
そのころ米国の共和党のフーバー大統領は公共事業はほとんどせず一時的な現象とみなした。そもそも政府が公共事業に参加するほど、労働者の賃金は一定化され生産性は下がるからだ。
公共事業は社会主義国のやることで、労働者はみんな同じ賃金だと意欲はなくなる。
失業者は増える中、民主党から一人の大統領候補が注目を集めた。米国の安倍晋三といわれたフランクリン・デラノ・ルーズベルトである。(FDRは略称)
連邦準備銀行からも推薦があったくらいだった。ニューヨーク州首領をしていてていち早く財政立て直しで成功した。
政策はヒトラーのように公共事業を行って、失業者に職業を与えたものだった。
テネシー川のダム工事やワーグナー法や農業調整法など政府が積極的に仕事を与える共産主義経済だった。
結果、一時的に回復した。ルーズベルト2期目までは景気回復している。
しかし、そのころヨーロッパやアジアでは戦争ムードだった。
英国にお金を貸したニューヨーク金融は英国に勝ってもらわないと
手形が紙切れになる。
また、ノモンハン事件が起こった。
これらは米国金融勢力が陰で支援していた。
南満州鉄道爆破事件と日支戦争
テロを起こした犯人は不明だが、金融勢力の差し金だったという見解がある。
1937年以降盧溝橋事件により戦争に突入する。ここでも金融勢力の刺客にやられる。
戦争がはじまると民主党は中立公約に背き勝手に支援を始めた。これにより国債がバカみたいにすられる。
第二次世界大戦はじまる
その2年後に第二次世界大戦が起こりドイツとソ連がポーランド分割を行う。
このときに米国はまたチャンスと考え、英仏やポーランドを支援した。
そしてドイツを挑発した。しかし、ドイツは挑発に乗らなかった。
1936年にドイツと日本は同盟を結んだ。ドイツと日本は第一次世界大戦で敵国同士で満州事変の時でも支那、国民党を支援していた。
日本はソ連の脅威に立ちはだかっていた。満州国を緩衝地帯としていたが、万が一に備えてドイツと同盟を組んだ。
後にFルーズベルトは日独伊三国同盟の日本を挑発することにする。
全部、連邦準備銀行が債権回収するためだ
新聞は国民を煽ってた
1940年にドイツは英国を爆撃する。実はこれも仕組まれていた。
ヒトラーが英国と同盟を組みたがっているのを知っていたのが英国の金融や新聞などのメディアだった。
チェンバレンの不評を書いて記事にして総辞職に追い込む。
チャーチル総理が誕生すると、一気にドイツと戦う姿勢に国民は変わる。
結果、英国は損害を出した。米国に助けを求める。(このときは米国民は戦争反対だった。第一次世界大戦で若者がヨーロッパで命を落としたから。)
結果、英国は米国の支援を受けて何とかドイツの上陸を阻止した。
すると、ヒトラーは独ソ不可侵条約を破ってドイツに侵攻させるように仕向けた。
これも、米国民主党の思惑だった。ソ連を承認したのはルーズベルトで戦後ヨーロッパを2分割する計画があったからだ。
しかし、ルーズベルトは3期目の選挙で中立公約を掲げて当選した。ヨーロッパを支援しないと明言した。
そこで国民に納得してもらう口実が必要だと。それがハルノートだ。
このことは戦後、米国民が知るようになる。ハルノートは財務次官のハリーホワイトが書いたものだ。そもそも政府の正式な提案ではなく覚書だった。
ハルノートの内容は
というもので満州から兵を引けとそして石油制裁の解除はノーコメント。
朝日新聞などはより開戦ムードを煽るようになった。
国民からしたら、日本に不公平な内容だという意見が多かった。
結果、ハルノートを突きつけられて1941年12月7日に日本軍は真珠湾攻撃をする。
そもそも、米国は国際連盟に不可盟だから平和原則などに拘束されない。
ルーズベルトは真珠湾攻撃の14時間前に通告を受け取っていたにも関わらず
ノーリアクション。第一次世界大戦の戦艦のみ残して空母だけどこかへ動かした。
日本が一方的な悪になってしまった。
歴史にIfはないが、日本軍は空母がないことに気づいたら攻撃中止も考えられた。
石油基地を日本軍が叩けなかったことがのちに戦況不利になる原因だった。