ソ連のスパイとゾルゲ事件

今日はゾルゲ事件について書いていく。

 

日本は第一次世界大戦後にソビエトのスパイが活動するようになる。

ソ連は暴力革命で皇帝を処刑した。

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そしてロシア国内で共産主義を強化するトロツキーと国際的共産主義スターリンが争いスターリンが勝つ。(トロツキーはのちに暗殺される)

 

スターリン共産主義国家を世界のあらゆるところに建国しようと画策していた。

そこで目をつけたのがアジアである。

 

当時、大正天皇は病弱であり裕仁皇太子はまだ若いからスターリンにとっては

日本をまず目につけていた。 

実は大正天皇ソ連のスパイに毒殺された疑いもかかっている。

裕仁皇太子(のちの昭和天皇)を事故に見せかけて暗殺すれば皇統は断絶すると画策していた。

事実、4回も暗殺未遂にあっている。

 

この前の悠仁親王の机に包丁が突きたてられる事件を知っている人は多いであろう。

 未来の天皇になりうる秋篠宮家が攻撃されるのは国際共産主義のスパイが多数いるからではと疑ってる。皇位継承問題で度々あげた愛子天皇論がそれに当たる。

小和田家、皇后陛下の生家はソ連とも繋がりがあった。

 

今日のテーマであるゾルゲ事件に移る。

ゾルゲはソ連のスパイで独逸共産党コミンテルン独逸支部所属だった。

(独逸共産党はのちにヒトラーにパージされるが)

日本に来日して新聞記者を装い、駐日独逸大使館に何度も出入りした。

少なくとも日支事変(支那事変)から日本とソ連の関係について調べた。

そして、日本の作戦をソ連に渡したのであった。そして、日本を南下させるように仕向けたのであった。

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同じく尾崎秀実が共謀した。彼は朝日新聞社で働いたのち満州鉄道で働いていた。また逮捕時には積極的に自白したため取り調べが円滑に進んだ。近衛文麿の腹心とも言われ共産主義について研究会を開いた。

 

ソ連ノモンハン事件以降、日本が矛先を向けてこないように工作をした。北進するか南進するか日本軍が方針を決めるとき、日本軍の南下政策は大成功だった。日本が南下すると得をするのはソ連だ。そこに米国が石油を止めて嵌めてやれば良いというものだ。

第二次世界大戦中に尾崎らは逮捕されて国家反逆罪で2604年11月7日に処刑された。奇しくもロシア革命の日だった。

 

西園寺公一西園寺公望の孫で天皇制につあて発言したことがある。尾崎とも何度も会う関係だった。西園寺は立命館大学を設立したことで有名だ。その立命館は左翼教授たちが少なからずいる。天皇制とは西園寺公一が度々使っていた。

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大島浩駐独大使は親独派で独逸に留学したこともあり独逸との同盟強化を主張した。

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独逸とソ連が戦った時でも独逸が勝つと主張してきた。ナチスのリッペントロップ外務長官を信用していた。そもそも独ソでは戦力が桁違いであることを分かっていたのだった。日本軍が支那大陸を制圧するのに満州事変から8年かかっていた。国民党は米民主党から武器などの支援を受けていたため長期化した。ソ連も米国民主の支援を受けていた。

実は大島は独逸より米国にはめられていたのではとされる。

日独伊ソ4カ国同盟に肯定的だった。しかし、これは外れて出る。そもそも米国は日独伊三国同盟を組ませてヨーロッパの戦線に米軍を投入させようと考えていた。

 

松岡洋右外務大臣は日独伊三国同盟が日ソ不可侵条約より上に立つと主張したが結果、松岡は更迭される。このときすでに日本は情報戦で遅れていた。理由は後々に対米戦争でソ連に仲介に入ってもらおうとしたからだ。

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実は日独伊三国同盟を仕組んだ奴がいる。米国民主党だ。ルーズベルトはヨーロッパに干渉しないと公約を掲げていた。日本を独逸などと同盟組ませて日本を虐める考えだった。

 

そして、米国側にもソ連のスパイがいたし、ルーズベルト自身ソ連と共謀した。ハルノートを書いたハリー・ディクスタ・ホワイトは財務次官であり、ソ連と交信していたことがヴェノナファイルで明らかになった。ハルノート満州国は承認しないどころか、石油の輸出禁止を解除することはどこにもなくただ領土をもとに戻すつまり朝鮮や台湾から兵を引き上げろというものだった。

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ホワイト財務次官以外にもスパイは300人はいた。そしてそれが明らかになったのは戦後、ハミルトン・フィッシュのおかげだ。複雑な暗号文書を解読しきった。そして、ソ連崩壊後の皇紀2655年にヴェノナファイルは一般公開された。

 

日米の国民をだましたのはソ連とそれを容認した民主党だった。信じられないが米国民主党社会主義経済を目指していたのだった。

ルーズベルトソ連を信じてソ連だけ領土を海外に持つことを許した。英独などはソ連と戦わせて擦りへらせればよいと考えた。

もし日本がハルノートを世界にさらす、共和党に知らせていたらいち早く戦争は回避できた可能性が高い。なんせフーバーもフィッシュもルーズベルト戦争賛成だったことを知っていた。

ルーズベルト弾劾もあり得たであろう。


しかし、移民法のせいでうまくいかなかった。帰化した日系米人を遡及法で取り消す圧倒的に不利な制度だった。


戦前の日本は米国よりいち早く共産主義を違法化していた。世界の本当の敵はソ連であることをわかっていた。米国は戦後になってソ連の脅威から共産党を違法化した。マッカーサーソ連の脅威は分かっていた。ソ連支那に原爆を50発くらい落としておこうと考えた。


そして戦後の日本は共産主義のスパイが入りたい放題になった。シベリア抑留された日本兵共産主義に洗脳して日本に送り返していた。その結果、反天連が広がってしまった。

そして現代となっては、女系天皇と恐るべき諜報を仕掛けてきたのである。