日本の英印侵略は失敗だったのか
さて今日は日本の仏印や英印の支配のうち英印について書く
第二次世界大戦に日本は昭和16年(1941)12月7日に参戦する。
真珠湾攻撃と同日にマレー半島はじめ英国インドシナ半島に進出した。
当時、ドイツが英ソと戦ってる中で英国領を抑えればドイツはソ連を抑えられると考えていた。
日本は東南アジアを支配した。彼らは日本軍を解放軍として受け入れた。
ここまでは序の口。
日本軍は確かに学校や病院などを建てた。イスラム教の信仰を認めた。
しかし、その一方で物資が不足した。
理由は無謀な戦線の拡大である
占領地が増えるとお金や物資がかかる。これだけの経費を賄うことは出来なかった。
石油などは1~2年しかない。その結果、餓死者が相次いだ。
またマレーには華僑ゲリラが多数いた。華僑つまり支那人の武装集団である。
直接支配が困難になると敵対勢力をつかい弱体化させた。
その結果、支那国民党のゲリラとマレー人は武力衝突を繰り返した。そして英国は両方を支配した。
そのゲリラを取り締まったのは日本軍だった。
そして、日本はインフラを整えるためにマレー人を多く雇った。
しかし、工期に間に合わず突貫工事となり犠牲者は出た。
日本軍の支配はマイナス面もあった
しかし、戦後になってから見方が変わる。
英国はマレーを取り戻したが、統治困難になり結局撤退。
経費がかかりさらに戦時国債で首が回らないから。
英国が撤退すると、支那人ゲリラとマレー人のゲリラがまた紛争を始める。
国民党はまだ諦めてなかった。
マレー軍には日本軍の教育を受けたものもいた。そして日本軍の孤立部隊がいた。
彼らはゲリラを取り締まるために、居住地を決めて徹底した物資の管理をした。
ゲリラと原住民の区別をした。
ノンチック上院議員は日本軍はマレー人を虐殺してないというのは意図したのではなく
物資不足による餓死といいたかったのだろう。
最も無責任なのは英国だった。敵対勢力を利用して両者弱体化させた。
そして華僑のゲリラは勝手に自分たちの国をつくりそれが後々シンガポールになる。
阿片戦争で敗れ香港を英国にとられて、英国金融がマネロンするためにシンガポールに拠点を移した。
日本統治が失敗だったとしても独立できたから意味がある。そして賠償金を求めたりしなかった。