慰安婦像?平和の像?
今日は「表現の不自由展」について書いていく。
まず、平和の少女像から。
慰安婦だのサラリーの高い売春婦だという人がいる。
しかし、その少女は実は在韓米軍が少女2名を跳ねた事件をもとに
つくられている。
慰安婦について
日本はかつて徴用工だとか慰安婦は連行されたという人がいるが
そもそも日本に性欲奴隷制度はなかった。以前にも書いたが
西洋のやってきたことである。
朝鮮半島には日本ほど仕事はなかった。失業者が増えてきた。
公務員、警察や軍人を志願する若者が増えた。
今でいうソウルの警察署の名簿だが、朝鮮名で登録されている。
国家公務員、特に軍人の倍率は高かった。
李 秉武は朝鮮系日本軍人の一人だった。日本人らしい朝鮮人だった。天皇陛下の為に最期まで戦う信念を貫いた。
朝鮮は失業者が多いから売春業をした人が多かった。それを日本軍は取り締まった。
慰安婦像は西暦2002年の交通事故をもとにした創作だった。もはや時代が合わない。
良識ある日本人いや自分の両親の遺影を燃やされたら屈辱的になるだろう。
もっというならカトリック教徒がキリストやローマ法王の写真を踏みつけられるのと同じ。
イランのハメネイやサウジのムハンマド王太子と一族を侮蔑するのと同じ。
神道の最高権威である。3000年近く司祭を行われてきた。そしてその行為は替えがたいものであった。
神道は死後は神になる。明治神宮は明治(睦仁)天皇と昭憲皇太后を祭っている。
現人神は神の一員であることの例えだ。
しかし、これだけ多忙なご公務を二十歳の摂政時代からそつなくこなしてこられてから神と例えられても仕方ない。いやほぼ神だ。
そもそも天皇は裁判にかけられなかった。いや日本に戦犯はいない。
はっきり言って国民の全体の2割つまり2000万人は敵に回すような展示会など表現の自由にも反するし、天皇条項にも反する。
不敬でしかない。