フランス革命と金融の話
今日はフランス革命について書いていく。
十字軍の遠征でヨーロッパは大損害を被った。そのどさくさに貴族の中で力あるものは国王になった。また、商人たちは戦争でお金儲けした。
ローマ教皇らに不満を持つものらの間に宗教改革が起こり、プロテスタントは旧教つまりカトリックと対立する。免罪符に不満や疑問を持っていたからだ。
1589年にアンリ4世(フランス語でHenryはアンリ)がフランス国王に即位しブルボン王朝が成立する。
しかし、パリはカトリックが多く統治困難であった。
そこで国王がカトリックに改宗してなんとか混乱を収めた。
アンリの死後、ルイ13世が勢力を拡大する。
ルイ13世の時に30年戦争が勃発する。(1618~48)
ボヘミアで新教勢力が反乱を起こしたのがはじまりだった。
初めはハプスブルク家率いる旧教勢力と新教勢力の対立であったが
ザクセン選帝侯はじめ多くの国が参戦する。
デンマークやスウェーデンなどは領土拡大を目的に旧教側に宣戦布告した。
フランスははじめは旧教側を支援していたが、次第に新教勢力へ寝返る。
戦争の終盤は宗教戦争ではなく、領土拡大の戦争であった。
リシュリューは今でいう総理大臣であった。彼がルイ13世に新教勢力に味方するよう上奏したのである。フランスは当時神聖ローマ帝国とスペインと挟まれていた。先にどちらかをつぶしておく必要があった。
領土拡大するのもそうだが、実は戦争をすると儲かる団体組織がある。
いうまでもなく金融や武器商人である。
戦争を継続するにはお金や武器がいる。また、当時の欧州は傭兵制度で戦争が終わると職業がなくなるから略奪が横行した。
傭兵を雇うための力があるのは王族ではなく金融商人である。
ヘッセンやサヴォイアにロスチャイルドのフランス支部とフランス総合銀行がぼろ儲けしたのである。
また中立国スイスも儲けたのである。
戦争後、一番得をしたのは金融商人であった。ブルボン王朝は戦債だらけとなった。
その頃、英国と北米大陸の植民地合戦になりさらに戦債をブルボン王朝は抱えていた。
1783年にフランスは米大陸から植民地を完全に喪失した。
また傭兵制度なので戦争が終わると職を失う者が増えた。
それに対して日本の場合、武士という職業軍人がいた。
略奪は増え治安維持は困難となった。
バスティーユ牢獄襲撃
30年戦争の終戦から約40年後、1789年にバスティーユ牢獄が襲撃される。
いうまでもなくフランス革命の始まりである。当時穀物が不作になり餓死者が増えた。
実は襲撃した人々は貴族に雇われたのだった。武器を平民に持たせた。お金で雇う力があるのは商人くらい。権力の象徴を攻撃して刺激させたかったのだった。
革命を起こした黒幕は貴族と金融だった。貴族の中にはマリーアントワネットが敵だったハプスブルの娘だから気にくわないので粗探しをしていた。それに漬け込んだ王立銀行などが平民を集めてやったのだ。
マリー王妃が「お菓子を食べればいいじゃないか」とか贅沢三昧していたのは全くのデマでむしろ貧しい平民に喜捨していたくらいだった。
しかし、ヴァレンヌ村に隠れていたルイ16世とマリーアントワネットは最終的にバスティーユでギロチンで処刑されてしまう。
そのころ、英国では革命が起きてまた国王が処刑されるのを恐れて対仏同盟を組んだ。
フランスは世界のほとんどを敵に回した。黒幕はフランス銀行だった。
革命後に三身分の議会が設立されるがすると今度は議会の中で対立が起きてしまう。
ジャコバン派とジロンド派が対立して、ジャコバン派はジロンド派を処刑してしまう。
すると今度また反ジャコバン派がジャコバン派を処刑してしまう。
実はこれも全部金融業界の仕組んだものだった。革命を起こし、フランス国内で敵対勢力をつくるのだった。
すると、今度は強い指導者を求める動きが高まる。コルシカの中級貴族出身のナポレオンは農民の圧倒多数の支持を集めて皇帝になるがこれもフランス銀行の仕掛けた罠だった。大衆を利用して国家権力を自分たちのものにするのだった。
ナポレオンを国家権力に集中させて、戦争させることで、また同じように戦債をすることが出来る。(これはヒトラーも同じだ)
ナポレオンはロシア遠征に失敗してから没落してる。60万の傭兵を集めたが冬の寒さに勝てず撤退。そして、ワーテルローの戦いで敗れ完全に失脚した。
借金漬けにナポレオンはなってしまった。
つづく