米国独立戦争は作られた
今日は米国独立戦争について書く
フランス革命の少し前である1776年に英国の米植民地であった13州は独立宣言した。
その経緯を書く
まず、英国ではピューリタン革命がおこる。清教徒は英王室から弾圧を受けて亡命する。これが植民地の始まりである。
しかし、それらは王の許可を得ての自治権だった。
英国はそのころ30年戦争でも述べたが、借金だらけだった。
戦債を返すのに首が回らなかった。
さらに、フランスと植民地の競り合い状態だった。
そこで、植民地から税金を搾取することを英国政府はする。
しかし、そんなことしたら世界で暴動が起こるのは明らか。暴動部隊を鎮圧するのにもお金が嵩む。
なかでも、同じアングロサクソン人の北米植民地からしたら迷惑な話だった。
あらゆるものに課税がかけられた。
印紙法では新聞や広告や切手などに、砂糖法ではあらゆる食品に課税された。メディアは新聞だったから知る権利も減っていく。
それだけではない。税金を払ってるのに英国議会への選挙権はなかった。
「代表無くして課税なし」 というスローガンはここから来てる。
植民地では英国政府発行の紙幣を使っていた。
ポンド紙幣を使っていて紙幣にも枚数に限りがある。ポンド紙幣は英国領の中でしか使われないし信用度も限られる。
ポンド紙幣が出回らなくなると物価は下がる。それで、紅茶や小麦などに課税される額は高い。
そして、ボストン茶会事件が起こってしまう。紅茶を海に投げ捨ててしまうのであった。英国からの紅茶しか植民地は購入することができなかった。このため紅茶は独占価格で値上がりした。
しかし、本当の目的は通貨発行権がなかったことである。
植民地が英国政府の紙幣ではなく独自の紙幣を使うことを禁止させたのである。
ボストン港封鎖されて経済損失が大きくなると独立戦争ムードが高まる。
なんせ兵糧攻めを受けてるのだ。
独立戦争が1775年に勃発するが米植民地は資金不足になる。そこで力を借りたのがフランス王立銀行だった。
さらにロシアの力も借りた。
戦争の結果、英国は13の植民地を手放すきっかけとなった。また英国は借金だらけになった。
そして英国王室と繋がりのあった金融側が得をした。
米植民地は英国金融には勝てなかった。
もともと名誉革命の後オランダ金融と繋がりのある王を革命後に迎えてきたから金融の拠点がロンドンに移った。
そして独立後、銀行を米国に作り独自紙幣をばらまいて支配するようになった。
敵は英国政府じゃなくて英銀行だった。
英銀行の支店が米国に作られるようになり、金融の支配から逃れられなくなる。
続く