イエズス会は金融の差し金だった。
今日はいきなりだがイエズス会の話を書く
十字軍の遠征に5回も失敗して、ローマ教会は大損害を被った。
その一方で王族や金融はぼろ儲けした。
なぜなら遠征するための軍資金を貸与したり、教会を改修するのに工事費でお金儲けできたからだ。
今日はその金融の歴史で書けなかった、日本の戦国時代について書いていく。
15世紀になりスペインやポルトガルは世界のあらゆる国々を植民地にした。
そしてエンコエミンダ制度で奴隷として酷使してきた。商人はお金儲けそして銀を独占するためにしてきたのである。
そして支那や日本などアジアまで征服してきた。
キリスト教を布教して味方のふりをしてきたのである。
しかし、日本は思うように布教が進まない。
そこで鉄砲を使って金を儲けようとした。もとは支那の四大発明だが、西洋はこれを改良して遠くまで飛ばせるようにした。
武器を高く売りつけて金や銀を搾取したのである。しかし、鉄砲伝来の皇紀2203年から
30年あまりの皇紀2235年長篠・設楽原の戦いで鉄砲が実戦兵器として使われるとスペインは日本を脅威に感じた。簡単に複製されたのである。
鉄砲が広まるとそれまでの一騎打ちから、集団戦に切り替わった。
そしてその戦いから8年後、織田信長は本能寺で撃たれる。
当時、日本は鉄砲大国だった。信長は全国統一半ばであった。大砲を積んだ船を造船させた。
本能寺には火薬が莫大に隠されていた。警備もかなり手薄だった。しかも40人くらいしか収容できない。明智軍が1万3000人とされているから容易に短時間で倒せる。しかし、信長の首が見つからないことから何時間もかかっていた。信長の首は実はイエズス会に先にわたっていたともされる。
本能寺に火をつけたのは実はイエズス会のスパイだったとされる。信長の首をとったことを確証したかったからだろう。
秀吉は武器甲冑を船で輸送してから後に現地で装備してから、光秀と戦った。
中国地方から山崎までわずか一週間弱で折り返すなど甲冑つけたままでは不可能だ。
結果、秀吉は政権を取るとイエズス会と敵対する。
バテレン追放令により宣教師は迫害された。当時、日本の十代女子が次々と売春婦として売り飛ばされたからだ。
スペイン領だったフィリピンも征服する予定だった。当時スペインは植民地を世界に持つ大国だった。
そして、秀吉はイエズス会によって毒殺されてしまう。
秀吉の死から2年後に関ヶ原の戦いが始まるがこれもまた英国とスペインの金融が仕組んだ戦いだった。
つづく