秀次を暗殺させた黒幕は?

今日は豊臣秀吉の甥の秀次について書く

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羽柴秀次(後の豊臣秀次


秀吉の姉の子どもで後継候補だった。しかし、秀頼が生まれるとのけものになったとされる。

 

本当はどうだったのか。そもそも秀頼は幼いがあの六天魔王信長の落胤である茶子の息子である。

血筋からしたらかなり強い方である。

そもそも茶子は信長と従兄弟の市の娘である。市は信秀の養子になる。養子縁組は武家では珍しくないことだったし従兄弟同士での結婚だった。

 

織田信長は右大臣つまり副総理か官房長官止まりだった。征夷大将軍つまり総理大臣とも言える足利義昭を追放するのに天皇に嘆願したくらいだった。そして朝廷からオファーが来ると拒否した。

 

羽柴秀吉征夷大将軍になるために足利義昭の養子になろうとするが却下される。太政大臣になる為に藤原氏の養子になりなんとか豊臣の姓を与えられる。

 

さて、秀次は秀頼が元服するまでは関白代理と約束をされた。

 

秀次には子供も沢山居た。彼らも後継者になりうる。

 

秀吉は信長の孫である秀頼の方が理解を得やすいと考えていた。

 

さて秀次を自害に追い込んだのは誰か?

 

これには説が複数あるがこの中でも家康とイエズス会が有力とされる。

 

家康は秀吉の死後、関ヶ原で勝利する。そして秀頼を差し押さえて征夷大将軍に就任する。家康は正当な国家権力としらしめした

大坂の陣で豊臣家を滅ぼした。

 

家康は画策していたことから可能性は十分ある。秀頼の息子を捕まえて処刑したと記録に残っている。(ホントかウソか知らんが)

秀次が生きていたら家康は立場が逆転していたであろう。

秀頼が幼いことを逆手にとって秀次を追い込んだとされる。

 

次に当時のイエズス会説である。

秀吉は宣教師を追放した。しかし、経済活動は認めたのでキリシタンは入りたい放題だった。この時毒薬ヒ素も取引されていた。

当時のキリシタンは日本人少女を売春したりするくらいやばかった。秀吉が怒りを示したのも分かる。スペインやポルトガルは当時、日本に火薬を売る代わりに奴隷貿易をした。

 

日本は白人が奴隷にしていた黒人が侍になれた。信長の家臣弥助は元は宣教師の奴隷だったが、信長に気に入られて家臣となった。

そして本能寺で逃亡して生き延びている。明智光秀ですら捕虜にしなかった。当時のイエズス会は本能寺の黒幕説さえあるのだから可能性は0ではない。

 

この2説が代表されるが真相は不明。むしろ秀吉は秀次に所領の4/5を与える約束をしていた。秀次は自ら事態を大きくさせないために自害したというのは間違いない。

いや追い詰めたのが誰かだ。最終的に得してるのは家康だから家康説を私は取ることにした。