北方領土問題はいつから
丸山穂高議員の発言からもあったように北方領土は第二次世界大戦の終わりにソ連が侵略して日本から奪ったものである。
元々北方領土とはこれだけの島々である。
オレンジで示したところが固有の領土だ。
安政2年(皇紀2515年)の日露和親条約で両帝国は択捉島までが日本領であることが決められた。
そののち明治8年(皇紀2535年)千島樺太交換条約により千島列島までが日本領となる
そして日露戦争の結果ポーツマス条約により樺太北緯50度以南は日本領となった。
ここまでは理解できるだろうか。
しかし、第二次世界大戦の末期にソ連軍が日ソ不可侵条約を破り満州はじめ朝鮮半島や千島に樺太に上陸した。そもそもソ連側は上陸する軍隊がなかった。そこで米国に要請してアラスカ(当時は準州つまり植民地)で演習を行った。そもそも当時の米国民主党はソ連を承認していた。
昭和20年(2605年)8月8日にソ連は満州侵攻から同年9月4日まで日本軍と戦闘が続いた。
日ソ不可侵条約は、規約により締約更新の1年前に通告しなければ、自動更新されることになっていた。ソ連は4月5日に通告したため皇紀2606年4月25日失効となっていた。
日本側の主張とソ連今の露合衆国の主張を整理する
日本
- ポツダム宣言やサンフランシスコ平和条約は英米との条約でソ連は批准していない。千島列島は放棄するが択捉、国後、歯舞群島、色丹島はこの対象ではない。
- 大西洋憲章の理念に反する
- ヤルタ協定は米国上院の批准を得てない。つまり米国公式文書ではないから密約で無効だと皇紀2616年に当時の大統領アイゼンハワーが主張している。
- 日ソ共同宣言(公式文書)では2島を返還後、平和条約によって取り決めするとある。
- ソ連側は不可侵条約を破棄する通告を出していたのだから満了する皇紀2606年4月25日までは有効である。宣戦布告したものの長崎に原爆投下されたせいで通告を受け取るのが11日になった。
ロシア
- 日ソ不可侵条約(2606年4月25日まで有効)は日独伊三国同盟の地点でさらにドイツのソ連侵攻で空文化している。
- ポツダム宣言を追認したのだから日本はソ連に降伏したと認めたことになる
- ソ連を承認したのは当時の米国政府である。その米国政府に宣戦布告したのだから事実上ソ連に宣戦布告した。
明らかにロシアは条約違反しさらに戦時国際法に違反している。事後法で処置するといった明らかに日本が不利なように仕向けている。
事実、ラヴロフ外務長官は敵国条項を引き合いに出したり平和条約は結ぶ気がないなどと主張している。つまり、日本とロシアは休戦状態などと馬鹿げたことを言っているのである。
択捉や国後が千島の一部とか後から主張するなど法治国家で文明国のすることとは考えられない。欧州は北方領土を返還すべきという声さえある。フルシチョフも晩年このことで後悔している。また、ロシア側もサンフランシスコ条約を結ぶべきだったと後悔していた。
今からでも遅くはないから引き続き平和交渉を続けるべきである。プーチンの任期は皇紀2684年(6年2期)である。もしトランプが再選した場合の最終任期(4年2期)と同じである。