平成・令和の皇位継承問題2

前回は父系天皇と母系天皇そして両系天皇について述べた。

 
皇位継承義務は皇族の父系男子のみであり
悠仁親王殿下より若い人はいらしゃらない
状態である。
 
私はまず母系天皇はじめ母系皇族は反対で論外だ。そもそも女系皇族は国体破壊だ。
 
 そして、皇位継承問題を解決する方法が2つかある。
 
1.側室復活案
歴代天皇過半数は側室の皇子である。正室つまり皇后が男子を産めなかったから保険として側室を設けた。
しかし、嘉仁天皇は側室を廃止された。男子が4人もいたからだ。裕仁天皇の時は完全に廃止となった。2男5女だった。明仁上皇は第五子であり第一皇子である。上4人は内親王であった。
 
また現在では人倫に関わることもあってなかなか国民の理解を得るのは容易ではない
ヨーロッパの王室みたいに離婚が認められてない。
当然、男子を産まなければならない女性皇族にとってプレッシャーである。
しかし、側室制度は正室は皇室を出なくてよいのだから女性は保護された。
また2項で述べる旧宮家ともかかわってくることなので説明する。
旧宮家は11存在した。昭和22年10月14日に一斉に功績離脱された。

f:id:victor4:20190526170838j:plain

ãæ§å®®å®¶ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ
画像引用源 
 
その宮家も4家まで減少した。男子が生まれないとその家は断絶確定である。
70年で1/3に減るのだからこのペースで行くと70年後には1家残るか否かである。
また現在は少産少死のため男子が生まれる確率は低い。
こちらについては現段階で議論するのではなく、悠仁天皇の代から始めるべきだ。
 
 
2.旧宮家皇別摂家の男系男子の養子縁組
昭和22年の臣籍降下により先程上げた11宮家が一斉離脱した。
メディアにでているJOC元会長の竹田恒和(戸籍上は恆和である)と彼の長男恒泰氏は旧宮家竹田宮の出身であるが、皇族だった時期一度もない。
憲法学者兼拉麺屋の恒泰氏は昭和50年生まれ(誕生日非公開)だし、
元五輪選手でJOC会長の恆和氏は昭和22年10月末生まれだから三週間早く生まれていたら兄や姉たちと同じ皇族であったであろう。
そもそも竹田一族は基本的に皇籍復帰には否定的である。 
旧宮家は600年ほど前の南北朝時代
に分裂したいわゆる天皇の親戚である。
数百年に一度皇統の危機が訪れ、宮家で補ってきた。
江戸時代には新井白石天皇に新宮家創設を
1で述べた通り4家が未婚の男系男子がいらっしゃる。
 f:id:victor4:20190602203944j:plain
竹田家 昭和55年、平成22年生まれ
賀陽家 平成8,10年生まれ
東久邇家 平成16,22年生まれ
久邇宮家  昭和36年生まれ
皇別摂家では山本家や醍醐家などに昭和60年代から平成1桁生まれ
そして壬生家には10歳未満の男子がいる。
特に賀陽家と東久邇家の父系男子親王殿下の婿にふさわしいのではという意見が出ている。
 
しかし、旧宮家今上天皇よりおおよそ30親等も離れてる。
é¢é£ç»å
é¢é£ç»å
 
画像引用源 http://archive.fo/Fu8G1
いきなり皇籍復帰しても国民の理解を得るのは容易ではない。
内親王か女王と成婚していただいてから生まれた皇子から皇位継承義務が生じるという制度が関の山ではないであろうか。 
また、旧皇族父系男子が婿になった場合、王配殿下か王婿殿下になるのか不明である。
この時、女性皇族の天皇即位を認めるべきかそれとも摂政で止めるべきかも課題である。
皇室典範では女性皇族は皇太子妃を除いて女性皇族は順位は低いが摂取継承義務がある。
勿論、18歳未満の父系男子については純粋の養子縁組も考えられる。
 
しかし、現憲法
・特権階級の廃止
職業選択の自由と意に反する苦役
・結婚の自由
などから皇籍復帰は容易でない。
 
私は皇位継承義務と書いてきた。戦前は男性のみ兵役が課されていた。
皇族とは義務の塊である。だから継承の権利ではなく義務なのである。
明仁上皇は86歳になられるがその義務の塊を昭和64年1月7日から平成31年4月30日まで果たしてこられた。こうしたことから皇籍復帰は容易なことではない。
 
私の理想はこの2つをうまく議論して進めていくことである。私はそもそも一代限りの父系女性天皇反対だし、生涯独身でいらしてくださいなど不敬極まりない。
 
次回に続く。