日本は戦前は民主国家だったか
日本は戦後になってから米国から民主主義を教えてもらったなどとネットで一部意見が散見されるがこれが本当か検証する。
戦前は大日本帝国憲法下で国権は動いていた。国家権力とは天皇はじめ政府など公僕を指す。
戦前でも議会はあった。衆議院と貴族院があり英国を手本にしたとされる。当時は英国が世界最強の国家だった。また、君主は統治せずとある。すべしらす、しらすという言葉を統治と当てた。
議会制民主主義は戦前からあった。この時被選挙権は直接国税15円以上を収める30歳以上の男性のみでかなり限られた。
そもそもこの時の選挙権は良識ある人の集まりだった。教養がある人たちだったし、賄賂を受け取ったとしても返すくらいの人たちだった。
明治時代は薩長土肥の元老たちが輔弼を行なってきた。しかし、大正時代になると元老は殆どこの世を去り政治体制が行き詰まった。閣僚の中でも意見が食い違うことが多々あった。また、薩長土肥の藩閥に不満を持つものが多く暴動が起こった。その結果、制限選挙が緩和された。しかし、普通選挙は25歳以上の男性限定で大正14年まで待たなければならなかった。
昭和初期になると軍縮会議や恐慌により、ますます国力が下がった。そして、農村は特に貧しかった。今でも不況になると公務員を目指す人が多い。当時は国民皆兵ではあったものの、職業軍人を志願する人も多かった。皇道派たちは農村出身者が多く、俸給を減らされたら溜まったものではない。以降、軍部が政治に口出しするようになった。五一五事件やニニ六事件のようにクーデターが起きた。中でもニニ六事件は陸軍が数百人規模であり昭和天皇が海軍や陸軍統制派の力を借りて鎮圧された。
元は陸海軍大臣は大将から選ばれるのが慣例だったが、次第に大臣たちの意見も他の閣僚は無視できなくなってきた。
現代は内閣総理大臣が軍を指揮する、シビリアンコントロールだが当時は実質軍の元帥たちが握ってた。たしかに憲法上は天皇が最高指揮官だが、実際一から事細かく指令できたかというとNOだった。拒否権は無いに等しい。
そして、軍部は予算拡大のためにほぼ独占的に通貨を発行する様になった。(第一次大戦後、金本位制が破綻した。)戦債を発行して、通貨を増やした。
東條英機は反戦で現役軍人で最初で最後の首相となった。軍部の間での対立を止めるための切り札に近い人だった。東條は国民全体に食料が行き渡ってるか確認を徹底した。国民からの信望も厚く、開戦のためならなんでもすると書簡が多数届いた。
海軍と陸軍で対立が起こり、また陸軍でも皇道派と統制派の対立が起こりそうした対立を抑えることは出来なかった。
軍が政治を私有物化して、内部での対立を抑え切ることなく戦争に突入。そして、3年8ヶ月の日米戦争は敗戦を向かえる。
先の大戦は国民の感情から始まった。石油が無くなると工場も発電所も止まる。軍艦は2年半しか持たないし、その間に決着をつけるしか無かった。数千万人が失業し餓死する危機だった。
日米戦争後、GHQは日本は非民主国家と勘違いをしていた。軍の政治介入や貴族院など非民選の議員がいたからだ。そしてシビリアンコントロールでは無かったからだ。
また、人間宣言を天皇にさせた。そもそも天皇が神になるのは崩御されたからだ。しかも日本は多神教だった。
一神教の国からしたら、天皇=イエスやアッラーと勘違いが起こってもおかしく無かった。
そもそも神なら虚物で不死身だ。つまり、最初から天皇は人間だし神別と言われるように人と神は別物。
纏めると、先の大戦は国民感情で始まったもので昭和天皇は反対でいらした。それどころか歴代天皇は反戦でいらした。陛下のご意向より国民感情が勝る国のどこが非民主国家なのか。そして現代世論では女性天皇や女系天皇に賛成が過半数となっている。民意が通れば皇族方のご意向を無視してもいいのか。皇族とて戸籍なしの日本国民だ。
戦後75年を迎えて 2
前回の続きから書く
日本が日米戦争に負けて、本土で7年間沖縄で27年間占領が続く。
占領下の日本はGHQが牛耳っていた。武装解除が徹底され、朝鮮進駐軍が置かれた。
米国もかなり日本の統治をビビっていた。天皇制をなくせば8000万人いる日本人が竹槍で襲いかかると考えていたからだ。
なんといっても地上戦は米軍を震え上がらせた。
結局、日米戦争は無駄だった
朝鮮戦争が始まる1年前になると、米国は日本の再武装を考えるようになる。そしてその感は当たり朝鮮戦争が始まった。
マッカーサーは日本国憲法施行から一年後に憲法を国民投票で破棄して再検討しろと命令していた。しかし、日本政府はこれを却下。そして憲法変えないままマッカーサーは警察予備隊を編成。後の自衛隊である。
終戦の日はいつだったか?
さて、本当の終戦の日はいつなのかについて考察してみた。
よく言われる8月14日か15日はポツダム宣言受諾の日 で英米蘭支に対して降伏したのである。
その後日本軍は武装解除を始めるもののソ連の侵攻が続く。9月2日にミズーリ号で調印する。その後昭和26年9月11日にサンフランシスコ条約を結び、翌年4月28日に占領軍撤退である。
しかし、海外にはまだ日本兵は残留していた。
小野田寛郎は昭和49年まで残留していた。ポツダム宣言受諾を知ることもなくただ助けを待っていた。弾薬が尽きれば抜刀して攻撃して散るしかない。29年も生き延びることが奇跡である。
この時こそ本当の終戦の日ではないかと考えられる。
戦争の反省
ポツダム宣言受諾の日に天皇陛下は戦争の反省とお言葉を述べるが反省とは何か。
先の戦が国民感情ではじまったことである。感情まかせに戦争賛成と言ってはならないのである。
皇道派の暴走やマスコミに洗脳された国民たちがなんでもするから早くしろとか鬼畜米英などと煽っていた。
皇道派は下級軍人で農村出身者も多かった。昭和恐慌で農作物が売れず家族を身売りにする家もあった。
そして軍縮会議で軍艦を減らされたら、兵士の給料は減る。不満が溜まって2.26事件を引き起こした。今で言う幹部ではないノンキャリア自衛官が首相官邸を攻撃するようなものだった。さらに当時はシビリアンコントロールではなかった。英米は総理や大統領が軍の最高指揮官だったが日本は天皇が最高指揮官だった。政府が勝手に軍の予算に口出しするなと不満を持って攻撃した。総理大臣に軍を指揮する責任をとる権限はないのに無い物ねだりをしたのが下級軍人である。
日米戦争でも石油のために始めたのに石油基地すら攻撃できてない。軍部も陸海で対立したり情報
まとめると自分で考えずに目先の利益や感情論で行動してはならないのである。
しかし、自分の国は自分の血でしか護れないことも忘れてはならない。
戦後75年を迎えて
今年紀元2680年8月になった。
原爆投下やソ連の参戦やポツダム宣言受諾があったのは言うまでない。
さて日本がなぜ米国と戦争したのか、歴史教科書にはあまり載ってないのである。たしかに国力の違いについて触れられているがなぜそうなったかは知らない人が多いと見受けられる。
日米戦争は真珠湾攻撃ではなく、支那事変の時から始まっていた。
この時、ルーズベルト政権は蒋介石の国民党を支援していた。フライングタイガーという戦闘機集団を派兵していた。フライングタイガーは国民党の旗印をつけていた。つまり国民党に見せかけて米兵に攻撃させていた。
その2年後にナチスのヒトラーはポーランドをソ連のスターリンと分割して第二次世界大戦が始まった。米は反戦ムードが高まってた。英仏は独に宣戦布告した。英仏から米は要請を受けていた。ルーズベルトとしてはナチスの暴挙は許せ難かった。しかし、参戦するには口実がいる。
そしてあの手この手で日本を経済的に封鎖した。真珠湾攻撃の4ヶ月前にルーズベルトは九州を爆撃する命令書にサインした。ルーズベルトは自ら宣戦布告したのと同じだ。
真珠湾攻撃の2週間前にハルノートを突きつけて日本を激憤させた。
石油封鎖のことがどこにも書いてないからだ。そして真珠湾攻撃に踏み切った。
こういう過程があって日米は戦争することになった。
さて8月6日、9日は原爆が投下された日である。米国は卑劣な人体実験の為に日本に投下した。インディアンと同じように日本人を絶滅させる為だった。
原爆投下によりソ連が米国の脅威に気付いたことが大きい。米国はルーズベルトの死後トルーマンが引き継いだがトルーマンはソ連に非協力的だったことが大きい。
皮肉にも原爆を早く完成させて、ソ連を黙らせる。そして単独で占領したお陰で日本は皇室を護れた。ソ連が介入したら皇室廃止になっていたかもしれない。ソ連の侵攻は9月4日まで続く。流石にソ連も米国を敵に回してまで日本を占領しようとは思わなかった。
日米戦争の黒幕はルーズベルトだった。そしてスターリンの思惑通りになってしまった。終戦の直後に米国がソ連の脅威に目覚めたことが不幸中の幸いだった
沖縄戦終戦から75年
今日は沖縄戦から75年になる。
日米戦争における地上戦の一つだ。地上戦と聞くと、硫黄島やアッツ島もそうだった。日米戦争の主力は戦艦や空母の戦いであった。
沖縄戦の1ヶ月前に硫黄島で日本軍は米軍と戦ってる。米軍は3日で落とせると過信してたが35日もかかってしまった。この地点で3万人弱も米陸軍が犠牲となった。市丸中将はルーズベルトに手紙を書いたのは言うまでもない。栗林中将も塹壕を掘り灼熱の中耐えて最期を迎えた。米軍が上陸してから一気に塹壕から出てきて迎え撃つ作戦である。
沖縄戦でもガマと呼ばれる塹壕に日本軍は立てこもり野戦病院と化した。またジャングルに立てこもるなどゲリラ戦が行われた。日本側は硫黄島の時のように時間稼ぎの戦いが目的だった。少しでも米軍を引き付けておいて倒す作戦だった。
米国の国際法違反
さて、沖縄戦に戻るがこの時米側は兵士だけでなく一般人も攻撃している。日本側の沖縄戦の戦没者の内半分は民間人だった。民間人は武器を持ってるはずがない。普通に考えたら国際法違反だ。そもそも市街地を米国は爆撃してる。軍事施設を攻撃するのは合法だが、市街地は違法である。米国は戦時国際法違反を度々おかしてきた。
そして、沖縄戦は4月に始まった。戦艦大和は沖縄を助けるために向かったのである。武器や弾薬に食料を積んでた。しかし、米空母からの艦載機で轟沈した。この時日本側には航空機は殆どなかった。前の年、昭和19年の10月から海軍は特攻作戦を立て特攻機として使われたからだ。九州から特攻機が出動して米軍に大損害を与えた。そして沖縄戦では10代の男性まで動員された。徴兵制は19歳からだったが、沖縄では中学や高校生でも動員された。
沖縄戦の後
沖縄戦では米兵が2万人弱犠牲になった。そしてこのことは議会でも問題視された。トルーマン大統領は就任して間もない頃で、前任者のルーズベルトとは異なりソ連のスターリンの力を借りずになんとか日米戦争を終えようと考えていた。
チャーチルもソ連とは強調する気は無かった。あくまでナチスを懲らしめるためでありルーズベルト前大統領亡き後はドイツが5月に降伏して以来、ソ連とは敵視していた。
さて沖縄戦のあと、昭和20年10月をめどに九州に米軍はじめ連合軍は上陸作戦を立てていた。オリンピック作戦とも言われる。日本側も支那大陸にいた陸軍を戻して来て本土決戦を考えていた。支那大陸には数百万人の日本軍がいてソ連との戦いに備えていた。
上陸したら数十万人の米兵が犠牲になるのは米国側もわかってた。そんな作戦が通るわけがない。そして、砂漠での原爆実験が成功するとトルーマンはゴーサインを出した。ポツダム会談で米を有利にするためである。そして2発も市街地を核攻撃をしてソ連を牽制した。
そして、巷では本土決戦したら100万人の米兵士が犠牲になるのをわずか2発の原爆が救ったなどという神話が広がってしまった。
歴史にたらればはない。昭和19年に日本側が降伏を打診していたわけだからその時にルーズベルトが受諾したあるいはトルーマンが休戦あるいは停戦をするなどしていたら原爆など使う必要はなかった。真珠湾攻撃の報復として軍事施設でもない市街地を警告なしに核攻撃した罪が米国にある。
中共による尖閣諸島の領海侵入
尖閣諸島周辺を支那の公船が連続で運航して50日連続となった。
実は日本は冷戦時はソ連の戦闘機が入ってきて自衛隊機がスクランブルしたことがある。そして威嚇射撃したのである。
以前も書いたが、敵国条項から外れないから支那側は度々尖閣諸島を領有権を主張している。
中華民国は尖閣諸島を日本領と認めているし外交文書も残っている。
しかし、ミズーリ号では中華民国に負けたと調印している。日本は中華民国との戦いそのものには勝ったが、その同盟国である米国に負けたのだから結果的には負けたことになってる。
そして中華人民共和国側が内戦で中華民国を破り最終的に条約を継承したことになってる。
さて、尖閣諸島は魚釣島はじめ複数の島からなる。どんな島なのかというと物理的にヘリポート一台置けるかどうかである。仮に自衛隊か海兵隊がヘリを置いてもせいぜい一台くらいだし兵站もそんなに蓄えられない。
では、尖閣諸島の制空権を確保するしかない。第二次世界大戦の日米戦争で日本側は制空権を失ってしまった。かつて日本はミッドウエー海戦で空母を4隻戦闘機300余を失った。この時から、戦艦ではなく航空機の時代になった。
そして、レーダーの性能が上がると空母は機動力を高める必要があった。そのため空母に大砲は殆どなく、周辺をイージス艦などで固める空母打撃群が編成された。そしてレーダーに引っかからない兵器の開発まで進んでいるのは言うまでもない。近年の軍事兵器は急速に進んでいる。
日本側は護衛艦型空母としていずもやひゅうがを保持している。空母とは国力を表している。米国は11隻保有していて世界の海や空を支配している。しかし、空母とて機雷や魚雷にあったら沈没してしまう。空母がないと戦闘機などは戻って来れない。
近年では支那の航空機の数が日本の自衛隊の数を上回っている。また性能も向上している。日米戦争で開戦から2年で日本は米国に戦闘機の数を追い抜かれた。またB29が開発されると大量の爆弾を積み空襲を米国は行った。
つまり射程圏が広がるとそれだけでも抑止力になる。
日本側はミッドウエーで優秀なパイロットを次々と失った。また優秀なパイロットは1年でも100人にも満たなかった。
イージス艦だけでなく潜水艦も空母を攻撃する役割を持ってる。
米国などは冷戦時から原子力潜水艦を保持していた。近年は性能が上がり音を小さくすることが可能になってる。潜水艦は米軍にとってインド洋へ通り抜けるために必要なのである。制海権と制空権を確保するには潜水艦と空母打撃群が必要である。
公船だけでなく武装した漁船もいる。
支那の軍事力が拡大するのはいうまでなく、近年では武装した漁船も増えてる。
かつて尖閣諸島に海上保安庁の巡視船に支那の漁船が体当たりしてきた。
この時、日本側は反撃すらできなかった。
そして、民主党政権はあっさり船長を釈放してしまった。
交戦権を保有している国は21世紀地点でまず無い。国際法で戦争は違法だからた。国権は自衛権を行使するか、警察権である。
北朝鮮の拉致工作だって、もとは一般漁船である。今後、武器を持った漁船が増えるのは言うまでもなく日本側の漁師はなかなか漁に出れないことが懸念される。
解決するには
日米で尖閣諸島の石油開発は一案である。尖閣諸島で資源が取れないことには当然日本国憲法も適用されない。沖ノ鳥島にしても人が住んでない以上資源が取れないと意味がないのである。
そうか制空権を確保するために日本も戦闘機の数を増やすことが必要だ。米国のように無人戦闘機でも調達しておかないといけない。自衛隊の隊員の数が減ることが懸念されている。
でも肝心なのは敵国条項削除である。これでも支那側の口実が薄れる。日本を叩く理由がなくなる。継承したはずの条約を無視していることになる。
国家緊急権は本当に必要か?2680年4月18日
さて、非常事態宣言からかれこれ1週間たつ。筆者も大人しく自宅にいる。
筆者の主観になるが、よくネットやSNSで耳にするのが、国家緊急権と憲法改正だ。
国家緊急権が発動されると基本的に憲法が停止する。そして政府の命令が法律と同じかそれを超えるとされる。
まず、憲法改正するときに緊急事態条項を書くべきだという人が多い。これについて筆者は時期尚早ではと考えている。
欧米は確かに国家緊急権が認められている。しかし、それでも感染者の増加を抑止できたかというとNOだ。ロックダウンしても感染者は指数関数的に増えているのである。
つまり、国家緊急権があればいいというのは間違いである。フランスはロックダウンしても食料品店や病院などは例外的に移動の自由として保証されている。こうしたところから感染が広がっている。
日本は先進国でさらに欧米のように国家緊急権がなくても感染者はワーストである。
イタリアや米国などは増える一方である。常夏の島ハワイですら感染者は増えてる。つまり、夏になったからと言ってウイルスが消滅するのはデマである。
大日本帝国憲法では
戦前の日本では勅令があったが、これは非常に限定的なものである。議会が閉会中の時と限られていた。また下院で否決されたら取り消すというものであった。
戒厳令にしても法律によって定めるとある。つまり法律を超えることは無かった。
日比谷焼き討ち事件や二二六事件の戒厳令がそれにあたる。
あと、聖断があるがこれは終戦前でもタヴー視されてきた。天皇に政治の責任を押し付けることになるからだ。そもそも天皇は政治不介入が原則だった。明治天皇は英国に留学し英国の統治せずの制度を参考にされた。天皇には拒否権すらないに等しい。歴代天皇は反戦でいらしたのになぜ4度も戦争が起こっている。
天皇大権とは責務に等しい。逆に総理大臣がお飾りに見えてきてしまう。
既存の法律を改良するあるいは加法するほうがいいのか
自民党の改憲案は国家緊急権が発動されても基本的人権は尊重されるとある。これではロックダウンしても意味がない。しかも、今回の新型ウィルスや大規模な震災が起こった時は議会は解散できないといったことくらいである。
災害により国会議員の任期を延長するのは憲法の議員の任期の項目に加筆できないだろうか。地方議会は特例法でできると。災害が起きて選挙を行えない場合、期日を延期すると書く。
東日本大震災の時、たしかに緊急車両が通れないなど問題があったケースはある。所有物を動かすには許可が必要だが、非常事態は例外とすると。このケースは公共の福祉を理由に破壊撤去できるよう例外措置を取ればよいではないか。火事の時、消防隊だってやむをえず住居を破壊して侵入することだってある。
結局、幸福追求権や公共の福祉をどううまく使うかである。
欧米の場合、一般的に非常事態宣言に基本的人権はほぼないのが普通である。国家緊急権とは悪く言えば憲法停止ボタンなのだ。
総理大臣の権限を拡大しておけばいいのか
米国の場合、行政権は大統領個人に属するので閣議を開かなくても大統領が法律に反しない限り政令を出せる。
その一方で、日本は総理大臣の権限は弱い。今回の新型ウイルスで呑気に閣議など開いている場合ではない時さえある。今回の経済的措置にしても公明党などが一律10万円を給付の方が効率がいいという理由で、所得が減少した世帯に最大30万円ではなく一律個人に10万円と共産主義的なものになった。
自民党の改憲案には内閣総理大臣の権限を拡大するとある。また、総理大臣が職務不能になったあるいは死去した場合は臨時の総理大臣を置くことを予め決めておけるとある。総理大臣の権限を拡大しておくと、メリットとしては内閣の方針が纏まりやすくなる。最初から現金給付だの弱者救済だの与党内でも揉めることは無かっただろう。
総理大臣の大権や最終決定権を上手く運用できればの話である。
国家緊急権という宝刀を抜くのか?
自民党の草案は憲法に国家緊急権を書いておきながら、出来ることがかなり限定的(国会の任期延長)なのはいかがなものかと筆者はみている。本当に国家緊急権が必要なのに鎖を切るようでは備えられていない。
既存の法律で処置できることはするべきである。必要なことだけ書き加える。これでよいではないか。
国家緊急権があってかつ総理大臣の権限が拡大されても女系天皇容認などはあってはならないし、天皇条文停止つまり天皇制の廃止は言語道断である。
支那共産党が崩壊して困るのは日本
コロナウィルスの件で様々な情報が飛び交っているので、武漢がある支那について書く。
支那は共産党あっての国家である。日本だと日本国より自民党である。人民軍はあくまで共産党の軍隊である。国防政策委員長と国家主席や総書記が必ずしも一致するわけではない。
ソ連は30年前に崩壊した。しかし、支那共産党はまだ崩壊していない。いや、いつ破綻してもおかしくないのである。
コロナウィルスの件で非常事態宣言を出して都市部を閉鎖しているが、それでもなお抑え切れてないのである。
もし仮に支那共産党が崩壊場合、どうなるのか。まず、共産党員は職を失う。9000万人程いる党員は給料を受け取れなくなる。ストライキが起きる。支援団体からも反発がくる。江沢民派であれ習近平派であれせっかく支援してるのに党が解散されたら無一文になる。
次に軍部が暴走する。シビリアンコントロールではないから戦前の日本のようになる。あちこちで五一五事件や二二六事件が起こるとされる。そして略奪が始まるであろう。
新政府を期待する支那人もいるであろう。しかし、15億人もいる国をどう統治するのか。
インドみたいに連邦国にするのか先が見えない。むしろ人口の多い国は分断統治しかないのである。それでも流出が進むであろう。なぜなら欧米レベルの地域はわずか1割であとの9割は生活が苦しいのである。
足のあるものはなんでも食べるのだから、食料難である。第二次世界大戦前の日本より深刻といえる。公衆衛生もろくに進んでないのにどう国権は統治していくのか。人民の多くは露西亜や日本にでも移住するのだろう。
しかし、露西亜とてそれは拒否するだろう。
日本側にはそんなことはできない。移民を遮断する力はないからだ。米国の墨国からの不法移民問題ですらトランプ大統領がなんとか高い壁を建設して阻止してるが、そんな財源は日本政府にはない。
いずれにせよ、支那共産党が崩壊したら日本も大ダメージをうけるのだ。感染者が今より増えるだろう。