国家緊急権は本当に必要か?2680年4月18日
さて、非常事態宣言からかれこれ1週間たつ。筆者も大人しく自宅にいる。
筆者の主観になるが、よくネットやSNSで耳にするのが、国家緊急権と憲法改正だ。
国家緊急権が発動されると基本的に憲法が停止する。そして政府の命令が法律と同じかそれを超えるとされる。
まず、憲法改正するときに緊急事態条項を書くべきだという人が多い。これについて筆者は時期尚早ではと考えている。
欧米は確かに国家緊急権が認められている。しかし、それでも感染者の増加を抑止できたかというとNOだ。ロックダウンしても感染者は指数関数的に増えているのである。
つまり、国家緊急権があればいいというのは間違いである。フランスはロックダウンしても食料品店や病院などは例外的に移動の自由として保証されている。こうしたところから感染が広がっている。
日本は先進国でさらに欧米のように国家緊急権がなくても感染者はワーストである。
イタリアや米国などは増える一方である。常夏の島ハワイですら感染者は増えてる。つまり、夏になったからと言ってウイルスが消滅するのはデマである。
大日本帝国憲法では
戦前の日本では勅令があったが、これは非常に限定的なものである。議会が閉会中の時と限られていた。また下院で否決されたら取り消すというものであった。
戒厳令にしても法律によって定めるとある。つまり法律を超えることは無かった。
日比谷焼き討ち事件や二二六事件の戒厳令がそれにあたる。
あと、聖断があるがこれは終戦前でもタヴー視されてきた。天皇に政治の責任を押し付けることになるからだ。そもそも天皇は政治不介入が原則だった。明治天皇は英国に留学し英国の統治せずの制度を参考にされた。天皇には拒否権すらないに等しい。歴代天皇は反戦でいらしたのになぜ4度も戦争が起こっている。
天皇大権とは責務に等しい。逆に総理大臣がお飾りに見えてきてしまう。
既存の法律を改良するあるいは加法するほうがいいのか
自民党の改憲案は国家緊急権が発動されても基本的人権は尊重されるとある。これではロックダウンしても意味がない。しかも、今回の新型ウィルスや大規模な震災が起こった時は議会は解散できないといったことくらいである。
災害により国会議員の任期を延長するのは憲法の議員の任期の項目に加筆できないだろうか。地方議会は特例法でできると。災害が起きて選挙を行えない場合、期日を延期すると書く。
東日本大震災の時、たしかに緊急車両が通れないなど問題があったケースはある。所有物を動かすには許可が必要だが、非常事態は例外とすると。このケースは公共の福祉を理由に破壊撤去できるよう例外措置を取ればよいではないか。火事の時、消防隊だってやむをえず住居を破壊して侵入することだってある。
結局、幸福追求権や公共の福祉をどううまく使うかである。
欧米の場合、一般的に非常事態宣言に基本的人権はほぼないのが普通である。国家緊急権とは悪く言えば憲法停止ボタンなのだ。
総理大臣の権限を拡大しておけばいいのか
米国の場合、行政権は大統領個人に属するので閣議を開かなくても大統領が法律に反しない限り政令を出せる。
その一方で、日本は総理大臣の権限は弱い。今回の新型ウイルスで呑気に閣議など開いている場合ではない時さえある。今回の経済的措置にしても公明党などが一律10万円を給付の方が効率がいいという理由で、所得が減少した世帯に最大30万円ではなく一律個人に10万円と共産主義的なものになった。
自民党の改憲案には内閣総理大臣の権限を拡大するとある。また、総理大臣が職務不能になったあるいは死去した場合は臨時の総理大臣を置くことを予め決めておけるとある。総理大臣の権限を拡大しておくと、メリットとしては内閣の方針が纏まりやすくなる。最初から現金給付だの弱者救済だの与党内でも揉めることは無かっただろう。
総理大臣の大権や最終決定権を上手く運用できればの話である。
国家緊急権という宝刀を抜くのか?
自民党の草案は憲法に国家緊急権を書いておきながら、出来ることがかなり限定的(国会の任期延長)なのはいかがなものかと筆者はみている。本当に国家緊急権が必要なのに鎖を切るようでは備えられていない。
既存の法律で処置できることはするべきである。必要なことだけ書き加える。これでよいではないか。
国家緊急権があってかつ総理大臣の権限が拡大されても女系天皇容認などはあってはならないし、天皇条文停止つまり天皇制の廃止は言語道断である。