金融の歴史講座最終
今日で金融の歴史講座最終章に入る。
前回までは、ベトナム戦争で米国は撤退する結果となった。
ケネディ暗殺については諸説があり中でもCIA長官アレン・ダレスが有力とされている。政敵だったことは間違いない。
アレンダレスの兄ジョンはアイゼンハワー政権時の国務長官だった。
ジョンは日本に「北方領土4島返還を主張しない限り米国は沖縄を占領し続ける」と恫喝した。
ベトナム戦争で撤退後米国は莫大な借金を抱えていた。財政を立て直そうとしたが失敗して、ドルショックが起こってしまう。ニクソンはドルの金交換停止、輸入課徴金制度の設立、物価、賃金の凍結という思い切った施策を打ち出した。
その結果1ドル360円は破たんし変動相場へと移行した。
ニクソンは2期目の大統領選に勝利するがウォーターゲート事件が起こってしまう。
実はニクソンは弾劾されたのではなく、下院司法委員会の弾劾勧告が可決されただけであって、下院本会議での弾劾決議が出る前にニクソンは辞職した。
メディアは弾劾されたと報道。メディアにとって都合が悪いことはみんな消して
報道していた。
そしてジェラルド・フォードが大統領に昇格するが次の大統領選で敗北。
そしてロナルド・レーガンがカリフォルニア州首長を務めたのち大統領選に出馬し当選。彼は俳優業で成功しその資金で大統領になった。彼は積極的な財政出動とインフレ収束や減税を行った。その結果、暗殺未遂にあう。
そのころ日本では日本航空123便が御巣鷹山に墜落してしまう。皇紀2645年8月12日のことだった。陸上自衛隊のミサイル誤射だったとされる。本当にそうだろうか。
理由としては
1.中曽根の選挙区だった。
2.中曽根にプラザ合意を受け入れさせるため
3.松下トロンの技術者はじめIT産業を弱体化させるため(A社とM社がのちにPCのOSのシェアを占める)
4.核弾頭を輸送していることを突き止めたので撃墜させた。(日本の核武装ができない理由はここにある)
5.明らかに他殺とみられる遺体が多い
自衛隊に金融勢力と諜報があったか米軍基地にまでつながりのある人がいた可能性はゼロではない。仮に誤発だとしても副機長の遺体を焼却したり明らかに他殺による遺体が多い(実際に救出されたのは4名)のは不自然である。
中曽根総理はこのときにスパイ防止法を可決させようとしていた。
しかし、メディアは治安維持法が復活すると叫んでいた。自分たちに都合が悪いことはみんな騒ぐのである。
結果、皇紀2649年(平成元年)の参議院選挙で自民党は半数割れ。このとき日本はバブル期だった。バブル時代に日本は東京都の地価がアメリカ全土の地価に匹敵するくらいだった。なぜバブルが起きたかというと、日本は日米貿易摩擦で円高不況だった。そこで積極的な金融緩和を行った。その結果、みんながお金をもちバブルが生まれた。
しかし、そんなバブルは長くは続かず大蔵省(現在の財務省)の傘下の日銀が金融引き締めを行ったのである。日銀の株は大蔵省である。土地価格に上限をかけたことで一気に地価は暴落し株は暴落。2580年代の米国と同じような結果になる。
その結果、現在バブルから失われた30年になろうとしている。